公と官






機密費の私的流用に始まり、ムネオ問題や亡命事件など、テレビや新聞をにぎわせている外務省。官僚の持っている体質的、構造的問題を一心に体現し、ほとんど自身が「悪の百貨店」と化している。もちろんこれは、何も「外務省」だからということではない。もともと外務省の持っている他の官庁へのエリート意識とコンプレックスのアンビバレントな関係が、そういう問題を増長させる原因となったのは確かだが、それを引き起こしている要因は、今の日本の官僚機構ならどこでも内在している要素に求めるべきである。程度は違うが、役人とはそういう性癖を持っているのだ。そして、その病根は近代日本に西欧的な官僚制度が移入されたときにまでさかのぼることができる。

そもそも江戸時代の庶民には、「公」の意識はなかった。私はあっても公はなし。「公」は、自分とは違うお上のモノ、という意識である。何たる無責任、と怒りたくもなるが、そういうメンタリティーが許されていたのだから仕方がない。ある意味で、よりしたたかな庶民が、タテマエの身分制度を逆手に取り、めんどうなだけでおいしくない「公」の領域を武士層に押し付けてしまった結果とも言える。このメンタリティーは、当然明治に入っても連続する。西欧的な「公共」感が導入されても、それは当然大衆が直接担うものではなく、「お上」が担うべきものとされたのだ。

このような経緯から、日本では「公」の領域は官が行うということが定着してしまった。近代に入った時点では、人格、人徳という面で、まがりなりにもきちんとした物を持っている、家柄のいい武家育ちの人達がいた。こういう人々は、少なくとも「公」の意識を持っていたし、自分の便宜や利得と離れたところで、「公」を論じ、行動できるだけのメンタリティーを持っていた。だからこそ「官」という立場から「公」を論じることができた。そういう人々が充分に存在し、官僚機構を構成している間は、すくなくともバランス感覚としては機能していた。

しかし、ここでもクビを持ち上げてくるのが、例の「密教・顕教問題」である。時代が下がるにつれ、明治日本も大衆社会化する。それとともに、大衆メンタリティーべったりでも、試験の点数だけはいいヤツが、官僚や軍人として出世するようになる。彼等にとっては、「公」の領域を「公」の意識でハンドリングすることなど考えも及ばない。元来「公」の領域であっても、それをどれだけおいしい仕事にするか、そこしかマインドがない。かくして「公」の領域は、公平なバランス感覚で処理する慈善的なものから、許認可行政として扱うべき「利権」となってしまった。

原点に返って考えれば、「公」領域だからといって、それが無条件に「官」の領域、それも官の「許認可利権」の対象というモノではない。それどころか、そもそもそういう領域は、公平無垢の心で判断すべきものだ。ハヤりのコトバで言えば、元来NGO的に対応すべき対象を、官の許認可対象にしてしまっているということになる。実際、欧米、特にアメリカでは歴史的経緯から、この領域の多くの機能が「民」の自主的な運営で処理されている。それが充分ビジネスとして機能するならばビジネスベースで、そうでないものはボランティア的運営で行われている。

この最たるものがインターネットだろう。インターネットの与えた影響は、技術ベースの部分で語られることがおおいが、それ以上に重要なのが「これほどの大きな仕組みを作り、運営して行くことが、ボランティアベースで可能である」ことを実証したことではないだろうか。ハードウェアとしてのインフラこそ、各種のネットワーク会社・テレコム会社に依存してはいたものの、技術基準から、その上で提供されるサービスの運営まで、すべて事業ではなく、手弁当の集大成で作り上げてしまった。もっとも、その後充分に巨大化し、ビジネスベースに乗るようになってからは、ビジネスとしての対応が中心になってきたが、それでも決して「官」や「お上」が主導するものではなかった。

実は、日本でもインターネットはjunetとして、アメリカ同様、民間のボランティアベースで起ち上がってきた。ドメインの管理等も、あくまでも自主的に運営され、官が管理したり、「指導」したりする余地はなかった。かえってアメリカのネットワークのほうが、行き着くルーツの一つとしてARPA NETのような官(というか、厳密には軍だが)ベースのものが入っていたりするのが皮肉だ。とにかく、日本におけるインターネット立ち上げの意義は、日本においても「公」の領域に属するものを、官ではなく民のボランティアベースで運営可能であることを身を持って示したことにもある。

アメリカでも「情報スーパーハイウェイ」みたいな政策があったではないか、という向きもあるかもしれないが、あれはあくまでもインフラネットワークの充実の話である。その上でどういうサービスをどういうカタチで展開するかは、基本的に民間任せだった。そう考えると、皮肉にも「ハコモノ行政」というのは実に本質をついていることが判る。官は所詮「ハード」しか作れないのだ。それが悪いということではない。「ハードしか作れない」ことを自覚し、そのソフト面は民に任せる、あるいは民主導の構想を「ハード面から支援する」のならば、すばらしい役割分担ができるはずである。問題は、ハードしかできないのに、運営やソフト面まで管理監督しようという点にある。

そう考えてゆくと、そもそも届出の処理とか、各種調整機能といったものなど、今「官」の行っているコトのほとんどが、このようなカタチで民のNGO的なものに移管可能である。諸外国の例をみるに、そもそも公益法人とはこういうNGO的な中立性を持った民の機関であり、決して天下りによる「官の植民地」ではないのだ。こういう組織論に基づく官から民への委譲が進めば、おのずと政府のやるべきことは限られ、「小さな政府」が実現されることになる。具体的には、政治的な駆引としての外交交渉と、それを支えるベースになる軍事だけだ。

何でもかんでも「官」でやろうとするから「官」の人員が水ぶくれする。そうするとノブリス・オブリジェを持ち得ない大衆まで、大量に「官」へとリクルーティングする必要がうまれる。こうなると、「悪貨、良貨を駆逐する」の原則に基づき、「官」全体の室が悪いほうへ悪いほうへとなびき出す。「公」は民の領域であって、官でない。このルールを確立することこそ、明治以来の「顕教徒」による官の堕落を解決する最高の策である。それはまた、「民」にも自分で決断し自分で解決することを要求する。そうなれば、おのずと自立・自己責任の意識が求められるようになるだろう。まさに一挙両得ではないか。

(02/05/31)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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