例外にもれない






この数年、企業の不祥事が続出している。そういった「事件」を報道するときに共通するスタンスは、不祥事を犯すほうが「例外」であり、遵法精神を持っている企業のほうが「標準」であるという考えかたである。しかし、これだけ不祥事が連続すると、そのスタンス自体を疑ってみたほうがよさそうである。「甘え・無責任」の悪平等社会である日本においては、遵法精神があるのが基本ではない。「見てなければ何をやっても良い」という考えかたのほうが、リファレンスなのではないか。文字通り「赤信号、みんなで渡れば恐くない」の世界である。

悪平等社会では、基本的にこういうスタンスにならざえるを得ない。それは、旧東側の社会を思い起こせばすぐわかるだろう。「遵法精神」は「タテマエ」ではあるが、あくまでも「タテマエ」としての存在でしかない。表ヅラを整えれば、その裏では何をやってもかまわない、というのが「ホンネ」。そして、個々のメンバーは常に「ホンネ」を基準として行動する。その一方で、公然と語られるのは「タテマエ」だけで、「ホンネ」は常に水面下にある。ホンネとタテマエが交錯する社会では、社会にとって「正しい」のはタテマエでも、個人や個々の組織にとって「正しい」のはホンネということになる。

こういう社会を機能させるには、徹底的に構成メンバーを「人間視」せず、工場のラインを構成する機械の部品としてみるしかない。そして、人道的な良し悪しは別として、ある目的性からして不適合な「部品」は根本的に排除するしかない。それを実際に行ったのが、20世紀前半の東側の国々である。共産主義社会をウマく運営するには、スターリンがやったように、都合に合わない「人間」は、処刑するなり、収容所に送るなりして、「社会」の部品として存在しないようにする必要がある。そしてそれはある程度ウマく機能したと見ることもできる。

アカは大キライだが、スターリン的な権力構造を保持しつつ、その運用においては、あくまでも「密教徒」が権力を握り、「顕教徒」を徹底的に部品として扱うのなら、百歩譲ってそれはそれで機能する可能性があることは認めよう。一つの方法論としては充分に機能する。しかしそれだけに、こういう体制の中で「顕教徒」が権力を握ってしまったらおしまいである。だが、残念なことに日本の近代の歴史が目指したものはそれに近い。そして現在の日本も、社会主義独裁ではないものの、悪平等主義者による「民主集中制」という意味では、その完成系といえる。

誰の目にも明らかなように、こういう社会において「スタンダード」であり、個人や組織の目標として「正しい」のはホンネのほうである。なぜ、ホンネが「標準」であることが誰にもわかっているにもかかわらず、あくまでもタテマエを「標準」とし、ホンネが「例外」として処理されるのか。それは、何度も言っているように、あくまでも「例外」である、とすることにより、今の無責任な悪平等社会のスキーム自体を傷つけず、温存しようというモチベーションが働いているからである。

このように、悪平等社会である日本は、悪平等社会であるがゆえに「ホンネ」と「タテマエ」のダブルスタンダード、二枚舌から逃れることはできない。従って、マスコミにしろ、政治にしろ、公衆の面前で声高に主張できるのは、あくまでもタテマエとしての「正しい」スキームでしかない。何か事件が起きたとき、問題が大きくなればなるほど、タテマエから外れた「例外」として問題を捉えざるを得なくなる。それはとりもなおさず、ホンネの利権を温存する方向に機能する。なんとまあ、よくできていることか。

日本人は、隣人の目が光っていれば、かなり「タテマエ」にそった行動をする。しかし、誰も見ていない、あるいは気心の知れた「ツーカーの仲間」しかいない状況では、たちどころに「ホンネ」にオプティマイズした行動になる。だからこそ、「隣組」みたいな相互監視のシステムを作らない限り、襟を正さない。昔の日本人はきちんとしていた、と主張する人もいるが、それは間違いである。こういう「相互監視」のシステムがキチンとしていたからこそモラルが維持できていただけのことである。共同体が崩壊し、隣人に無関心になれば、モラルはないも同じだ。

ということで、ことこの問題に関しては、日本人全員が共同正犯といわざるを得ない。知ってて見て見ぬフリをする確信犯である。そのように無責任の枠組にひたりきっているかぎり、口頭ではどんな主張をしたところで、「悪平等の無責任体制」に荷担しているというそしりは免れない。そういう連中と十把一からげにされたくないのなら、無責任体制から脱して、「自立・自己責任」で行動しているという「身の証」を立てる必要がある。そして、それはとりもなおさず、悪平等主義、「甘え・無責任」主義に浸りきった日本人の悪弊から脱皮することにもつながるのだ。

(02/09/20)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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