迷惑経営






これは「甘え・無責任」に浸りきった日本人の多くが根本的に間違えていることであるが、どんな自由があったとしても「人に迷惑をかける自由」はありえない。人が自由に行動できるのは、あくまでも自分で責任が取れる範囲に限られている。そして、その範囲は決して無制限なものではない。他人との間の距離が大きく、いわば動き回れるヘッドルームが大きければ、取りうる行動の範囲は広がる。しかし、それが狭ければ、やりたくてもやるべきでない、あるいはやれない行動の領域が多くなる。あくまでもその広さは相対的なものである。

この「自由の範囲」をわきまえないと、「無責任な自由」になってしまう。他人のことを考えず、自分の気分だけで行動を決める。多くの日本人にとっては、自由とはこの「無責任な自由」のコトとなってしまっている。フェアプレイに徹するなら、負けが確定した人は、なるべく早く自分からプレイをヤメ、競技の場を去るべきである。これは、マーケットにおける競争でも同じコト。競争劣位に置かれ、事実上「負け」が決った企業が、いつまでも撤退しないというのは、日本経済の問題である点。そして、退出すべき人がいつまでも居座っているというのは、まさにこの無責任な自由の例にほかならない。

負けが決ったら、潔くスタジアムから去るべきだ。この潔さがあればこそ、敗者にも敢闘を称えるエールが送られる。こういう発想は、日本人にはほとんどない。いられる限り、引き摺り下ろされない限り、いつまでも居残っている。倒産する、あるいそこまで行かなくても、抜本的リストラが必要な破綻状態になる。企業で言えば、そこまで行ってはじめてその事業を「ヤメる」決断をする。日常的に見られる状況ではあるが、社会、国、人類といった大きいレベルでの幸福を考えると、これは社会的犯罪行為といわざるを得ない。多くの人に対して迷惑をかけてまで、市場に居残っているからだ。

そもそも、人材にしろ、資源にしろ、基本的に有限なリソースである。敗者が居残るということは、その限られたリソースを有効に活用できない目的に投入することである。限られた経営リソースは、最適配分し、有効利用してはじめて富を生む。いや、逆に最適配分しなくては、人々の幸福のために役立たない、というべきだろう。だから、それを実現するためには、何をやってもいいわけではない。あくまでもリソースを100%活用できるような、戦略的対応が必要である。それを無為無策のまま、なんの可能性もない領域でムダ遣いしてしまう。これでは日本の経済が行き詰まっているのも、むベなるかなである。

このような経営は、人の迷惑を顧みず、無責任に「自分がやりたいことをやる」ことそのものである。なぜ、人の迷惑なのか。もし経営リソースというものが、多くの人にとってイメージしにくいものなら、水資源に置き換えて考えてみれば良くわかる。大事に節約して使えば、1万人が生活できる水源があったとする。それだけの水量であっても、蛇口を空けっぱなしにしたり、必要以上にトイレの水を流したりと、みんなが10倍以上ムダに使いまくれば、千人でも不足してしまうことになる。限られたリソースとは、そういうものだ。常に最適配分を考えなくては、パフォーマンスが得られない。

ある国が持っている経済のリソースも、全く同じである。地球レベルでも同じ。もっとも多くの果実を生むように、戦略的に最適配分してはじめて、その国の経済、人類の経済が発展する。この最適配分は、シミュレーションで解を求めようと思っても、そう簡単にはいかない。だからこそ、計画経済は破綻するのだ。市場原理が重要なのも、その競争プロセスを通して、各々の領域にオプティマイズしたプレーヤーだけが生き残ることにより、結果として最適配分が実現されるからだ。そして、市場経済による最適配分が実現するには、敗者が迅速かつ確実に競争から脱落することが前提となる。

したがって敗色濃いプレーヤーが、他の領域から得られた収益を意図的にその劣位で競争力が弱いとみなされた業務に投入し、延命を図るということは、競争原理からすると許されない。それでは、ムダなものがムダなまま残ってしまい、どんどん出血を増し、体力を損なってしまう。これが重なれば、一企業、一業種の問題ではなくなり、ひいては国力を損なってしまうことにつながる。まさに、今の日本がそうである。退場すべきプレーヤーが、いつまでも居残って、非効率的な業務にリソースを浪費する。これでは、経済が活性化するわけがない。

甘え・無責任な人々が、「寄らば大樹の陰」でぶる下がりまくる企業。そこでは、経営者も無責任に、社会に迷惑をかけながら経済リソースのムダ遣いをしている。ということは、まさにその企業自体が、国や社会に「寄らば大樹の陰」でぶる下がっているということではないか。甘え・無責任の輪廻とでも言おうか。この悪循環をバッサリやらない限り、健全に努力している人や企業が報われない。甘え・無責任な連中は、もう充分甘い蜜を吸いまくっている。そろそろ天罰がくだらなくてはならない時期だ。



(02/10/11)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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