マインドコントロールが日本を救う







もう、口がすっぱくなるほど主張してきたコトだが、日本を活性化するためのカギは、「甘え・無責任」な人達の行動にタガを嵌め、一定の秩序とルールを導入できるかどうかにある。どうのこうのと御託を並べたところで、結局はこの一点に尽きる。単純に言えば、「そういう連中はシカトしてしまえばいい」ということになるのだが、いかんせん「甘え・無責任」なヒトのほうが、圧倒的に数が多い。だから「民主主義」の多数決を武器に、文字通り「抵抗勢力」として、変化に対し粘っこくその足を引っ張る。これをどう乗り越えるか、それなりにテクニックが必要である。

いつも言っているように、「日本の大衆」の行動様式の特徴は、本質的に「甘え・無責任」で受動的なのだ。これがデフォルト。権利ばかり主張するワリに、責任を取ることをしない。与えられるものは、できる限りいただいておいて、楽をする。どんなにがんばったところで、そういう連中が「改心」して、「自立・自己責任」な人達になることは期待できない。せめて「自立・自己責任」な人々が自ら積極的に前に進もうとしている状況に対して、足を引っ張らないようにして欲しいということしか期待できない。だからこそ、どうやって「顕教徒」にタガを嵌めるかが重要なのだ。

連中は、進むべき道を本人に判断させ選択させる限り、私利私欲に走る。行動の基本原理が「自分だけ良ければあとは知らない」ということにある。しかし、他人の目が光っていれば、自分の責任で行動することができない分、極めてストイックな行動様式になる。だから、「隣組」のような相互監視のネットワークをくみ上げるのも一つの手だ。しかし、自主管理では「みんなで渡れば恐くない」に陥る可能性もある。人数差を考えると、真っ当な判断力を持つ人達を全て監視のために動員して、やっと機能するかどうかということになる。監視組織を作ろうにも、これでは暗澹たる状況である。

だが、相互監視を実際に行わなくても、監視されているのと同じような状態を「甘え・無責任」なアカの人々の心の中に生じさせれば、規律正しい行動様式に持ってゆくことはできる。そのためのカギは、「マインドコントロール」である。「甘え・無責任」な日本の大衆は、マインドコントロールされない限り、自分勝手なワガママの主張から抜け出すことができない。逆に彼らを適切にマインドコントロールできれば、秩序だった真っ当な人々のごとく振舞わせることができる。日本の大衆をマトモに導くためには、マインドコントロールが不可欠なのだ。

そもそも「甘え・無責任」な連中に、自分の道を自分で決めさせるほど危険なことはない。本来、考え、判断する能力のない人間に、基本的人権とばかりに、国の進むべき道を決める権利を与えるとどうなるか。同じ大日本帝国憲法に基づく政治が行われていたにもかかわらず、明治時代の日本には戦略やガバナンスがあったが、昭和戦前の日本にはそれがカケラすらなくなってしまった。それは、明治時代には武士道精神により「自立・自己責任」を植え付けられたリーダーがいたものの、昭和の大衆社会になると、権力の座さえも自分の無責任な欲望だけで行動する、「甘え・無責任」な「顕教徒」によって占められてしまったからに他ならない。

あくまでも居心地のよい、あなた任せになれる、もっと大きな枠組に身をゆだねる。それは同時に、私利私欲から解脱を意味する。これを幸せと思うことが必要なのだ。こういう仕組みを実現させない限り、個人の幸福ではない、日本人全体としての幸福を達成することはできない。日本人という枠組みが成立するためには、天皇制が不可避である理由はここにある。大きい存在の前で、個々人が指向を停止できる環境が必要なのだ。そして天皇制が実効を持つためには、明治憲法の制定期に考えられていたように、象徴としての天皇を取り巻く、「自立・自己責任」で能動的に行動しうる「密教徒」が権力を掌握しなくてはならない。

「甘え・無責任」な連中は、甘え・無責任なままに放っておけばいい領域も多々ある。経済活動などは、その最たる例だろう。自立・自己責任の人間が自由闊達に行う経済活動の足を引っ張らなければ、それ以上のモノを求める必要はない。しかし、国や民族としてのあり方を考える場合には、そうもいっていられない。「甘え・無責任」な連中を、「自立・自己責任」で行動する人間の足を引っ張らない「真っ当な人間」としての道に進ませる必要がある。そのためには、マインドコントロールしかあり得ない。洗脳し、「自立・自己責任」で行動できる人間への絶対服従を実現しなくては、国が滅びる。事態はそこまで来ているのだ。

マインドコントロールに抵抗感を持つ日本人は多い。そういう人間は、マインドコントロールされると、責任は他人に押し付けつつ、自分だけ楽していい思いをするという、今の無責任天国である悪平等社会日本が変わってしまうことに反発しているのだ。マインドコントロールに反発する人間こそ、「甘え・無責任」のアカなのだ。そういう人間こそ、マインドコントロールされなくてはならない。この構図がワカれば、行くべき道は見えてきた。「甘え・無責任」のアカな大衆にマインドコントロールを。洗脳を。これこそ、21世紀に日本という国が生き残るためには、不可避の道でなのである。


(02/10/25)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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