「農耕民族」は「甘え」民族







良く使われる言い方に、「日本人は農耕民族だから」というものがある。厳密な意味で「農耕民族」を定義するとするならば、日本人のマインドの持ちようは、それとはちょっと違う。本当の意味で農耕民族というのは、中国のように「天下がどう動こうと、オラっちは田んぼを耕すだけ」というマインドを持った人達のコトだろう。こういう人達は「愚公、山を移す」ではないが、十年一日のごとき、ある種の超ロングレンジでしかものを考えていない。そういう、自分自身が植物界の一員になったような生き方が、農耕民族である。

そういう意味では、土地には強く結びついているが、国や権力といった「上部構造」には結びついていないヒトと言うことができる。日本人はそこまで「お上」から超然としているわけではない。もちろん、そういう本来の意味での農耕民が渡来した例もないとは言えないだろう。しかし、日本人の大多数は、いわゆる弥生時代以降に朝鮮半島から渡来してきた移住者の子孫であり、定住して農業に従事したものの、もとをたどれば半農半猟である。厳密に歴史的視点から民族学的に考えるとそういうことになる。

その意味では、厳密な意味で農耕民族的かというと、そうでない面も多々持ち合わせている。しかし、そういう厳密な行動様式ではなく、単に「狩猟民族と農耕民族」という対比で比喩的に使うのであれば、それはそれで理解することはできる。モチベーションやメンタリティーといった面で、諸外国と比較した場合の日本人の特徴を以て、「農耕民族」と定義すると言い換えてもいい。その場合、日本人に対する「農耕民族」と言う見方には、必ずそこにある種のバイアスがかかっていることになる。

さて、そのような文脈で「農耕民族」の特徴とされるものを考えてみよう。それは、ムラ社会であったり、集団主義であったり、リーダーシップや決断力の欠如だったり、どちらかというと日本がグローバルに活躍して行く上でネガティブな要素となっているものが多い。そう考えると、「農耕民族」という文脈に込められたイメージは、「甘え・無責任」で受動的な生き方とオーバラップする部分が多い。まさに「農耕民族」とは、「甘え・無責任」民族ということになる。

「狩猟」は基本的に命がけである。リスクを負わなくては、獲物は得られないし、喰いっぷちは得られない。そもそも狩猟に行くこと自体、大きな危険が伴う。狩に行かずに昼寝でもしていた方が、余程気楽である。しかし、敢えてその精神的な障壁を乗り越えて「出撃」しなくては、喰っては行けない。そして、ただ狩に行くだけでも不充分である。実際に獲物を目前にしたとき、率先して戦ってはじめて、その獲物を自分のものとできる。本質的にチャレンジングで、「自立・自己責任」で行動しなくては喰えないのだ。

もちろん、農耕でも「自立・自己責任」の要素がないわけではない。多くの収穫を上げるためには、それなりにチャレンジングな要素が求められる。しかし、農耕には、集団でやるという特徴がある。多くの人間が並列的に作業に関わる分、個々の人間の働きに関するチェックはどうしても甘くなる。その結果、すべてのヒトが同じような貢献をしなくても集団全体としてはそれなりの収穫を上げられることになる。これは「甘え・無責任」を生み出す原因となる。

性善説ではないが、すべての人間が高いモラルを持っている集団なら、「農耕民族」も「狩猟民族」もメンタリティーは変わらない。しかし、これが対比される以上、「農耕民族」とは、この部分のモラルが低く、極めて「甘え・無責任」な行動をとる集団ということになる。中にきちんとまじめにやってくれるヒトがわずかでもいれば、面倒なことは、そいつにおっつけてしまえる。手を動かしているフリ、仕事をしているフリをしていれば、それなりに過ごせてしまうし、分け前も悪平等で手に入る。そういう社会では「実力よりも、世渡り」ということになる。

こういう特徴をもって「農耕民族」を定義するなら、「さもありなん」という気もしてくる。日本では、責任を擦り合って結局誰も責任をとらないことも、ムラ社会の特徴として理解できる。そもそも「農耕民族」と語ることこそ、自分たちの「甘え・無責任」な体質を、不可抗力的なものとし、その責任から逃れようとする、「二重の無責任」の象徴である。その構造がわかった以上「農耕民族」という言葉は、否定的、批判的な文脈の中でのみ使うべきである。真っ当な日本人は、断じて「農耕民族」などではない。それは、甘え・無責任な大衆にのみ向けられるべき言葉である。



(02/11/01)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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