近代日本という社会実験






昨今、日本の将来を睨んだ経済政策のあり方については、「まず改革」か「まず景気回復」かという議論が喧しい。イデオロギー的な政策論議に慣れてしまった耳にとっては、この両者は方法論の違いで噛み合っているように見える。しかし実際には、この両者は根源的なところで大きく対立している。「まず改革」とは、「自立・自己責任」のルールに基づく社会にしなくては日本は生き残れない、という危機感の現れである。その一方で、「まず景気回復」とは、「甘え・無責任」の利権構造を何とか温存しようという、「懲りない連中」の策動である。

ということは、これは表面的な手法の対立に見えても、その実、根本的な日本のあり方に対するスタンスの違いなのである。ある意味で最終的な宗教戦争に近い対立である。「自立・自己責任」と「甘え・無責任」とでは「原理」が違うのである。そしてまた、この両者の間では「階級」も違う。「自立・自己責任」を主張するからには、自ら率先して命がけでリスクを取ろうという、ノブリス・オブリジェに裏打ちされたエリート意識がなくてはならない。その反面、「甘え・無責任」に逃げようというのは、常に「匿名の大衆」の中にまぎれてしまおうという人達である。

違う視点から考えると、これは「戦略があるか、それとも戦術のみか」というコトにも通じる。日本には戦術はあっても戦略はない、と良く言われる。「失敗の本質」ではないが、戦前の旧軍隊の組織的問題としても取り上げられるくらい、戦略の欠如は日本の組織の欠陥の最たるものである。そしてそれは今に至るまで直っていない。それは、戦略と戦術の本質にも関わっている。戦略は自分が死ぬ気にならないと立てられない。その組織や国家が繁栄するにはどうするのがベストか。そのためには、自分が犠牲になってもいとわない、というスタンスで考えるのが戦略である。

その一方で、苦境の戦線や状況の中で、いかに自分の組織や国家が生き残るか、自分も含め生き残る方策を考えるのが戦術である。「死ぬ気でない戦略」は無責任である。同様に「死ぬ気の戦術」も無責任である。そしてそれは、実際にその組織や国家を率いているリーダーが「自立・自己責任」で行動しているか、「甘え・無責任」に逃げてしまうのか、にかかっている。そして、そういう人材を生かし、リーダーの座につけるかどうかは、その構成員の一人一人が、「自立・自己責任」のマインドを持っているかどうかにかかっている。

戦略の欠如はまた、人々が自分勝手で安直な利己主義に陥り、自分のことしか考えていない状況ともつながる。昨今の日本は、何でもかんでも「人命尊重」である。しかしこれは、人道主義の隠れ蓑の下で、自分と自分の家族のコトしか考えないことに他ならない。大きな目標のためには、犠牲はツキモノである。戦略は死ぬ気なのだから、当然の帰結である。ノブリス・オブリジェがあれば、勇者ほど率先して自ら大義のために犠牲となることを厭わないし、そういう勇気を持ったヒトを称える風土ができる。

自分だけ助かろうとするな。自分が犠牲になっても、それにより他の人達が助かるならば、命など惜しくはない。皆が皆、そういう勇敢な精神を持っている社会ならば、結果として活性化する。「命がけで挑む精神」は、大きなリスク、大きな困難に立ち向かって行く際にも、大きな効果を発揮する。日本では人質事件があると、ナンでもカンでも「全員救出」でなくては「正しい解決」ではない、という風潮がある。そんな夢物語では人類は生き残れない。犠牲を最小限にとどめると共に、犠牲者を勇者として称える精神がなくては、本当の困難は乗り越えられない。

思えば、1930年代以降の日本の歴史は、「悪平等の社会実験」と考えられる。ロシア革命以降の「社会主義社会」の歴史も、ある意味「悪平等の社会実験」ではあるが、成熟した社会における「悪平等主義」がどういう結果をもたらすか、というところまで貫徹してはいなかった。その意味で、貴重な成果である。そして、その結果の示しているものは、紛れもなく「貧しい社会では、悪平等もそれなりにプラスの効果を生むものの、長い目で見れば、悪平等は活性化をそぎ必ずや破綻する」ということだ。

まさに、この期に及んで「まずは景気回復」を語る、つまり「利権構造の温存と、解決の後ろ倒し」を主張するということは、「悪平等社会の日本」にしがみつき、それを何とか維持しようとすることに他ならない。少なくともこの80年近く、もっと言ってしまえば、日本の近代、日本の20世紀は、激しい世界環境の変化に抗して、「悪平等社会」の再生、温存を繰り返して来たといってもいいだろう。そしてその壮大な「社会実験」は、破綻という結論が見えてしまっている。「甘え・無責任」で塗り固めてきた、いままでの歴史の過ちを、今また繰り返しを許していいというのか。


(02/11/08)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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