「徳」の独裁





昨今の日本が抱えている問題は、間違いなく「超大衆社会」化のもたらした構造的問題である。日本は超悪平等の超大衆社会化したがゆえに、ヒトの「差」を認めあったり、尊重しあったりしなくなってしまった。このため、あらゆる場面で、求められる人材と実際の人間の器との間で、不適合を起こしている。これが日本病の本質である。そして、その最たるものがリーダーシップの欠如という「病状」となって現れてきた。本来リーダーシップを取るには、「徳」のある人間であることが必須である。しかし、今の日本でこのくらい忘れられてしまった基本的な事柄も少ない。

改めて言うまでもないが、「徳」は才能である。「徳」は誰でも持ち得るものではないし、実際に持っているワケでもない。それが「カリスマ性」とでも言うべきものである以上、こと「徳」については、悪平等主義者が好むような、「努力や教育でどうこうできるもの」ではない。それだけでなく、生まれつき「徳」を備えているだけではダメで、常にその「徳」を磨き、精進してきたヒトだけが「徳のあるヒト」となることができるという、至って厳しい世界である。だからこそ、「徳」性が貴重であるとも言えるのだが。

そういうコトもあって、「有徳のヒト」は常に少数である。これは、単に数の論理だけで行動する「悪平等型」民主主義、「大衆」民主主義の国にとってはゆゆしき自体を引き起こす。今の日本がまさにそのなれの果てである。民主主義の問題点は「数の原理」に基づくことにより、「徳のないヒト」の意見や論理が優先され、結果、トップも徳のないヒトになったり、あるいはトップの資質に関わらず、「徳のないヒト」に迎合しなくてはいけない点にある。だから民主主義は堕落するのだ。

もちろん、全体主義は問題というヒトもいるだろう。確かに過去の歴史をひも解けば、古今東西を問わず、失敗した全体主義、失敗した絶対王政の例は数限りなくある。しかしそれは、政治システムとしての全体主義の問題ではない。問題は、その運用にある。絶対王権は、君主が理想的な聖人であり、有徳の皇帝であることが前提となる。そうでないヒトが権力の座につけば、当然問題は起きる。すなわち歴史上の全体主義の問題は、「徳のないヒト」が絶対権力を握ることにより引き起こされたものであるということができる。

全体主義的な政治のあり方自体に問題があるわけではないし、全体主義が間違っているわけでもない。逆に、有徳の聖人に率いられた「全体主義」なら、中国の王朝の理想形の例を引くまでもなく、もっとも理想的な国家、社会のあり方を実現できる可能性がある。そのためには有徳のヒトが、権力を掌握する必要がある。そして、有徳のヒトが権力を掌握するためには、より全体主義的な社会システムや国家形態を取ることが早道であり、有効なのだ。

徳のないヒトがトップに立てば、社会システムがどうあろうと、その社会は堕落し、崩壊する。それは、社会システムが全体主義だろうと、民主主義だろうと全く変らない。そして今見たように、民主主義という社会システムを取る限り、「徳のあるヒト」が「徳のある政治」を行うことは、極めて難しい。その一方で、絶対王政、全体主義的なシステムを取るなら、「徳のないヒト」が権力の座につくリスクもあるものの、「徳のあるヒト」が権力を握り、「徳のある政治」を行うための最短距離にあることは間違いない。

しいていうなら、問題は権力者の暴走をどう食い止めるかにある。それには、中国で長年にわたって築き上げられてきた「天命」の考えかたが有効である。皇帝が、もはや「徳がない」状態になったならば、それは権力の座にあることがふさわしくない。徳のない皇帝に代って、真に徳のある、リーダーにふさわしい人間が新たに帝位につく。まさに中国語で言う「革命」の考えかたである。これにより、常に徳のある政治が行われる環境は担保できる。

さて、「徳」が才能である以上、それは遺伝する。ということは、確率的に見れば、世襲のほうが「有徳」の人材を得られる可能性は高いことになる。但し、遺伝が確率的現象である以上、特定の人間が特定の才能を必ず備えているということにはならない。だから世襲といえども、最初から世継ぎを決めるのは危険である。したがって、紀伊徳川家の4男坊だった吉宗を八代将軍に抜擢したように、ある種の競争原理を世襲の中に取り入れ、血統の一族の中から、もっとも徳の高い人材を抜擢できるシステムが重要である。

有徳の治を継続的に行ってゆくには、こういう面での仕掛けも重要になる。逆に言えば、このような常にもっとも「徳」の高い人材をフィーチャーし、そのヒトを権力の座につけるような仕組みさえ担保できれば、皇帝の絶対権力を確立した方が健全な社会になるということである。今の日本に求められていること、それは、こういうカタチでの秩序の回復である。有徳の人材を見つけること。そしてその人材に権力を集中すること。日本の未来、人類の未来のためには、これが不可欠なのである。



(02/11/15)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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