「常識」のジレンマ







ちょっと前、外務官僚と当時の田中外相との異種格闘技戦で、「伏魔殿」というコトバがはやった。霞ヶ関は、百鬼夜行が跋扈する魑魅魍魎の世界。シャバの常識がそのまま通用する世界ではない、というワケである。その勝負そのものは、両者リングアウトでウヤムヤなまま終わってしまったが、官僚の体質を言い当てたコトバとしては、「伏魔殿」は今も生きている。またぞろ自分たちの世界でしか通じない論理を持ち出してくる。税収が予算に満たないため、不足分を補填しなくてはならない。そのためには、増税か赤字国債か、という次第である。

少なくとも、民間において事業をする場合、収入が計画に満たなければ、まず最初にやることは計画の見なおしである。まずは、下方修正された収入見込みに合わせて計画を再検討し、全体を小ぶりに組みなおすことでコストの削減を図り、縮小均衡でバランスを図るのが常道だ。それも無理なぐらい収入が少ないのならば、当期はバランスが取れないまでも、ひとまずは出血を最小にとどめるような新たなコスト計画を立てる。あるいは、事業の実施そのものを抜本的に再検討するだろう。

もっといえば、物事、計画通り行く方が珍しい。常に状況に合わせた修正が必要である。だからこそ、「経営」が必要だし、経営者の舵取りの上手下手が、業績となって現れるのである。これは事業の基本であり、経営の基本である。人間社会と言う「不確定」な環境を相手にしている以上、その不確定さをどう吸収し、ベストパフォーマンスを導くかという努力なくてして成果はない。それを行うのが官の組織だからと言って、この呪縛から逃れられるものではない。それに、これは別に事業に限ったものではない。やってみなくてはわからないというのは、もっと根源的な人間界の常識である。

だからそういう不確定な状況変化に対応し、計画を修正するということは、子供でもやっている。ある坊やがいて、欲しいゲームソフトが2本あったとする。年の瀬だったら、彼は、お年玉の皮算用をし、親からいくら、おじいさん、おばあさんからいくら、おじさん、おばさんからいくら、と計算する。それをベースに、2本買えそうなメドが立てば、お年玉を貰ったらそれを元手に買う計画を立てるだろう。まあ、小学生ぐらいになれば、このぐらいの計画性は出てきて当然だ。サザエさんでもドラえもんでも、この手のエピソードはいくらでも出てくる。ところが実際のお年玉の実入りが悪く、集めたみても2本分いかない時にはどうするか。

そうなったら、少なくとも「計画」ができるくらいの年齢の子供なら、2本共買うのは無理と判断しあきらめるだろう。その上で、2つのうちどっちをまず買うかとか、ちょっと待って2本まとめて中古で買うとか、1本買ってから小遣いを貯めて補填しもう一つを買おうとか、現実として手に入ったお金を前提に、どうやって対処するか、計画の変更を考えるだろう。それを、最初の計画に拘泥し、「2本欲しい」とダダをこねるのは幼児レベルだ。それはお金の計算や、将来に渡る時間軸に沿った計画がまだ作れないということである。

とにかく、官僚の発想は、この幼児レベルなのである。勉強だけはできるので、偏差値は高いのかもしれないが、試験でいい点は取れても、実際の応用問題では、足し算、引き算もできないようだ。しかし、このくらいの計算ができなくては家計でも困ってしまうだろう。収入予測に合わせて支出のコントロールが出来ないということは、いわゆる「カード破産者」「ローン破産者」と同じメンタリティーである。こういうヒト達はある種の依存症だそうだ。ということは、官僚にはそういう性癖のヒトが多いということかもしれない。

実際、自分の収入以上にお金を使いまくり、その穴埋めを「民」にツケ廻しするという事例も多い。官僚周辺で次々起る、贈収賄や官々接待といった事件。そういう事件では、必ずその核心は、このような個人で使った金の「ツケ廻し」である。官僚にカード破産者的な人格破綻者が多いとするなら、これも同じ土壌から生まれている結果だと納得できる。ということは、今の官僚システムと言うのは、自分のケツさえ拭けない人間に、カネと権限を与えていることに他ならない。うまく行かないわけである。

そう考えれば、道路公団の民営化推進委員会をめぐる周辺のドタバタも合点が行く。誰がどう考えても、自分の責任において、収支のメドのない道路を作ろうという判断などできるわけがない。だが、そもそも官僚には責任感と計画性が欠如している。そして、それを前提としているのが官僚の常識なのだ。この期におよんで、と怒ってみても、そもそも社会一般からすれば常識が通用しない人達なのだから、期待するほうが間違っている。理想論からいえば、官庁を全てリストラし、官僚を全部クビにしてしまえばいい。判断は志の高い政治家だけでやればいい。そうすれば、常識は通じるし、コスト減で税金も減らせるし、すべてが万々歳である。



(02/12/13)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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