「景気」って何だ






「景気が悪い」というコトバも、もはや「耳にタコができる」状態を通り越して、日常の時候の挨拶のごとき状況である。もし、日本が本当にクリティカルな状況にあるのならば、こんなに長い間「悪い悪い」の大合唱が繰り返されるわけがない。その前にどっかでサドンデスになっててしかるべきである。オオカミ少年というか、免罪符と言うか、その手の「言い訳」になっている。ことこの問題に関しては、欧米ブランドの大型店が続々と開店する状況に対して海外の識者が言うように、日本は本当の意味では「景気が悪い」ワケではないというほうがアタっているのだろう。

それでもなお、今という時代は、多くの日本人にとって「景気が悪く」映る。それは、この状況をもってして「景気が悪い」ことになってくれなくては困るからではないのか。このように、「景気が悪い」という意識が蔓延する裏には、そもそも日本人には独特の「景気」観があることを見逃してはならない。景気がいいと言うコトバの裏に、元来産業社会が誕生した欧米でいわれるような、ある種のマクロ経済指標がプラスになっている事実以上の何かがある。そしてその期待も含めて、景気がいい、悪い、という傾向が強いのである。

それは、自分から何ら努力しなくても、それなりに充実した分け前に預かることができる状況ヘの期待である。だから景気がいいとは、ただ流れに身を任せ、流されているだけでも、それなりにカネが湧いてくる状況でなくてはいけないのだ。まさに甘え・無責任の骨頂である。この他力本願の発想、流れに乗ってオイシイ思いができればいいという発想が染みついているのが日本人なのだ。そして悪いことに、20世紀後半の日本の高度成長期は、それが罷り通ってしまった。

何もしなくても儲かる。知恵を出さなくても、人マネしているだけで儲かる。そういうコトも「運が良ければ」あるかもしれない。しかし、真っ当な判断力とリスクコントロール力のあるヒトなら、その運が長続きするとは思わないだろうし、ましてや運が続くことを前提に将来計画を立てたりはしない。ところが、日本では高度成長が思った以上に長く続いた。この結果、世の中の人間のほとんどが、「高度成長しか知らない」人間になってしまったのだ。こうなると世の中はおしまいである。

たとえば、昨今問題になっている厚生年金や健康保険の制度的破綻などはその典型だろう。これらは、60年代の高度成長期にその基本システムが構築された。その際、未来永劫右肩上がりの経済成長が続くことを前提として設計されている。当時からその問題を指摘した識者はいたそうだが、これでは破綻するのが当り前である。昨今問題になった道路公団の問題も、建設が始まった高度成長期には、経済成長にしたがって、需要も無限に青天井で伸びるものとしても誰も疑いをさしはさまなかったところに、構造的欠陥がビルトインされていた。

そう考えていくと、「甘え・無責任」体質が増長したのには、高度成長が大きな役割を果たしたことがわかる。もともと日本の大衆は、責任はお上任せで、「旅の恥はかき捨て」的なメンタリティーを持っていた。それが、本当に努力無しでもオイシイ思いのできる高度成長期を迎え、見事に開花したといえるのではないか。そして、ドルショック、オイルショックを経て高度成長から安定成長に移行した80年代を迎えると共に、「甘え・無責任」体質も絶頂期となり、同時にその弊害も爆発したということだろう。「ためにする」利権・許認可行政も80年代から顕著になったといわれるが、むベなるかな、である。

そういう発想を持っている日本の大衆にすれば、ハイリスク・ハイリターンがルールになってきた今の状況は、決して好ましい状況ではない。ノーリスク・ハイリターンが景気がいい、という彼等の基準からすれば、決して景気がいいとはいえない状況である。リスクを恐れず、能動的に動かなくてはリターンのない状況は、いくらチャンスそのものが大きくても「景気が悪い」ことになってしまう。しかし、こういう発想は明かに、甘え・無責任に浸りきった日本人ならではのモノだ。

本来、景気の良し悪しとは、チャンスそのものの大小や有無によって規定されるものである。努力すれば報われるチャンスがある。そのチャンスが大きいことが、本来の「景気のいい」コトである。あちこちに大きいチャンスの芽がある。それがより多く、より大きいことが「景気がいい」のである。決して、「何もしなくても儲かる」ことではない。そのチャンスをモノにするには、それなりのリスクに挑む決断力と精神力、そしてチャンスを現実の成果に変える努力が前提となる。景気がいいからと言って、何もしないで結果だけ貰えるわけではない。

今の時代は大きなチャンスがある。そして、努力と勇気さえあれば、そのチャンスを捕まえることもできる。景気が悪いのではない。甘えていてはチャンスを活かせないだけである。自立・自己責任な人にとっては景気はいいのだ。大事なのはここ。自虐史観ではないが、「甘え・無責任景気観」にどっぷり浸っているときではない。浸っていたい人は浸っていてもいいのだが、そういうノイズに惑わされるときではない。行動あるのみ。虎穴に入らずば虎子を得ず、である。リスクを恐れない人の前にしかチャンスはない。


(02/12/20)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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