つくるヒト







中島みゆきの「地上の星」が、紅白出場効果もあって、オリコン130週連続チャート・インの末に一位獲得という新記録を達成したと言うニュースが、スポーツ新聞やワイドショーを賑わせている。全く「プロジェクトX」様々である。それだけでなく、最近は中島みゆきさんが女性週刊誌の見出しになってしまうというのだから、大したモノだ。個人的には彼女のファンなので、それはそれで結構なコトなのだが、どうも「プロジェクトX」というのが引っかかる。それは、そのテーマの大きさに比して、番組コンテンツのメッセージが、言っては悪いがブルーカラー的な汗の結晶に寄り過ぎているからである。

それもまた、日本の現状を考えると仕方がないことかもしれない。突然「つくる」という音だけを聞いて、どういう漢字を思い浮かべるだろうか。多くの日本人の脳裏に浮ぶのは、「作る」という文字だろう。今までの日本は、高い技術力と生産力を持ち、物質的に「作る」コトにかけては世界をリードしていた。しかし、それゆえ「作る」ことに片寄りすぎていた。だから、多くのヒトにとって「つくる」は「作る」ということになる。しかし、本当の意味で価値のある「つくる」は、「作る」ではなく、「創る」だ。物理的に製作する力ではなく、新しいモノを生み出してゆく力である。

これからの21世紀は、決してモノが評価されない時代ではない。これからもモノ「つくり」は大事だ。しかしモノ「作り」ではなく、モノ「創り」でなくては評価されないのだ。この差はどこにあるのか。それは新しい軸を提示できているかどうかだ。そして、それを生み出すもとになるのが、クリエイティビティーである。モノにおいても、クリエイティビティーの多寡が付加価値として問われているのだ。この価値観の転換についてゆけないヒトが多いことが、今の日本に閉塞感をもたらす原因となっている。

あらゆる場面で、「創る」力が問われている。「創る」力とは、無から有を作り出すエネルギー。そして、ゼロから価値を生み出す知恵。これは人間のみに許された所作である。コンピュータやネットワークがいくら発展しようと、ロボットや自動化がいくら進もうと、組織論やシステムがいくら高度化しようと、それを使いこなす人間がいなくては、ゼロはゼロのまま。価値は、そういう仕組みやシステムの側からではなく、人間の「創る」力からのみ生まれる。まさにクリエイティビティーこそ、根源的な人間としてのレゾンデートルとさえいえるだろう。

さて冒頭にも述べた、NHKの番組「プロジェクトX」だが、もちろん番組に描かれた歴史の一コマから、色々なヒントを学び取る視聴者もいると思う。キチンと問題がわかっているヒトなら、それなりに学び取ることも多いだろう。だが多くの視聴者にとってこの番組の魅力は、単に過去の栄光のノスタルジアに酔いしれるというだけである。この両者を分かつものが、過去のしがらみから抜け出し、新たなスキームを構築できるかどうかという発想の違いである。そしてその原動力となるのが、ある種の「創る」力である自己否定力である。

自己否定とは、新たな領域への「ゼロからの挑戦」だ。新たな領域への挑戦は、深みを求めてゆく挑戦とは、一味違うチャレンジングな要素がある。一切の虚飾を捨てた上で、フェアで熾烈な競争原理がもっとも強く働く場に身を置く。そこにはテンション感がある。スリルという醍醐味もある。裸一貫で新たな世界に飛び込んだ瞬間、過去の自分の蓄積は一掃され、過去の栄光も名誉も否定される。ここで、リセットボタンを押せるかどうかは、未来の自分自身を「創る」ことができるかというクリエーティビティーの問題だからだ。

成功体験がイノベーションの妨げになるといわれる。しかしよく考えてみれば、そもそも今までの日本は、近代に入って以来、追い越し追い越せを国是としてきた。常に目標があって、それに見習いつつ、それを乗り越えてゆけばよかった。だから、教育も社会システムも全て、「ノウハウを素早く会得し、それを改良できるヒト」を重用し、育てる仕組みにオプティマイズされてきた。おのずと、過去を学び要領良くそのマネができる人材が、優秀な人間として評価されるようになった。だが、それは20世紀の話である。それを今も通用すると思い込んでいるところに問題がある。

まさに、日本という国、日本人自身が過去を自己否定することを求められている。創ることにおいても、日本には優れた人々が溢れている。今までの価値観や、今までの発想にとらわれていると、それに気付かず見落としてしまいがちだっただけだ。視点さえ変えれば、文字通り「日本人もやってるな」ってことがわかってくる。外国人には、日本人がいうほど悲観論になる理由が見えないのもこのせいだ。「つくる」と聞いて、「創る」の文字が浮ぶ。これが常識になったとき、日本はきっと元気になる。

(今週、筆者が某所で行った講演の一部から抜粋しました)


(03/01/17)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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