日本の治安






日本の大衆の本質は、「旅の恥はかき捨て」という「裏表のある」メンタリティーにある。人が見ていれば背筋を正すが、人が見ていないところでは、やりたい放題。そういう連中を「社会化」するには、社会として相互監視システムを持つことが不可欠である。幸いなるかな、伝統的な日本の共同体の中には、そういう相互監視システムがビルトインされていた。だからこそ、昔はそれなりに秩序があり、マナーがあったのだ。人間性が良かったのではない。そういう意味では、日本の治安が良かったという「安全神話」も、まさに相互監視システムの賜物であった。

近年治安が悪くなった、という言われかたをすることが多いが、それを「昔の日本人は秩序正しかった」と思ったら大間違いである。日本人一般のメンタリティーは今も昔も変らない。決して昔の日本人のメンタリティーが高かったわけではない。上級武士とか、ごく一部の儒教精神の教育が行き渡っていた階層はキチンとしていたが、それは例外である。「昔は良かった」と言いたい向きは、この「例外」である上級武士にスポットライトを当て、それを庶民一般に当てはめようという傾向があるが、それは間違いというものだ。

多くの一般庶民は、元来横柄、傲慢である。甘え。無責任で、自分さえ良ければ良く、公共性が皆無である。そういう本来持っているメンタリティーを、相互監視システムが抑制していただけである。共同体の相互監視システムが、治安を保っていたのだ。しかしそのベースになっている共同体は、高度成長以降の人口の流動化、核家族化の中で崩壊してしまった。治安が悪くなったのではなく、本性があらわになっただけのことである。最近良く話題に出る「社会問題」の多くは、超大衆社会化による「日本の大衆の本質の発露」でしかない。

まさに、企業や組織の不祥事が、内部告発というカタチでしか咎めることが出来ないのも、これと同じことである。逆にいえば、密告システムを作れば、それなりに秩序だった行動をするということである。ということは、日本を秩序ある社会、安全な社会にしようと思えば、秘密警察のネットワークを構築し、常に相互監視の目が光っているようにするほかはない。日本人というのは、そういう輩なのである。日本の大衆とは、利己的性悪説のカタマリである。それは、「責任ある個人」という概念が確立する前に、20世紀の「民主・平等」な大衆社会が到来してしまったからだ。

そういう「甘え・無責任」な人間に限って、安全や秩序を社会システムの責任範囲にしたがる。そもそも、「オマエ等のメンタリティーが、日本をおかしくしているにもかかわらず」だ。自分たちの甘えが治安を乱す原動力になっているくせに、お上に守ってもらおうという発想をする。なんたる独善性だろうか。そのクセ、自分がそういう行動をしていることに対し、全く持って無自覚的である。いや、無自覚だからこそ、「甘え・無責任」な行動ができる、というべきであろうか。努力をする人間だけが報われるのは、当然の話である。治安とて同じことなのに。

そもそも、安全は自己責任で保つものだ。アメリカなどでは、治安のいい地域は世界的に見ても驚くほど治安が守られているが、治安の悪い地域はどうしようもなく悪い。その差がハッキリしている。それは、地域住民が自己責任で治安を守ろうとし、コストもかけている地域は治安がよく、そうでない人たちが多い地域は治安が悪いということに他ならない。努力の結果として治安がある。治安が良くあって欲しいと思うのなら、自ら率先して労力やコストを費やし、自己努力で治安を良くしていくしかない。

盗まれないために数々の努力をしているものを盗むのは、明かに盗む方が悪いだろう。しかし、自分のミスで置き忘れたものが置き引きにあったとしても、これは置き忘れた方の責任である。そんなに大事なものなら、肌身離さず持っているべきである。同様に、詐欺はダマされる方が悪い。いろいろなマルチ商法とか、昔あった豊田商事事件とか、その典型だ。クールに聞けば、ロジカルには成り立つはずのない話である。それが、欲の皮が突っ張っているから、おいしい話に目がくらんで騙されるのだ。自己責任とはそういうものだ。

社会システムを云々できるのは、あくまでも、自己責任の努力を超えた部分でしかない。治安がを良くしたいのなら、まずは自分でコストを払って、治安を保つよう努力しなくてはならない。公の領域はその先の話である。努力したくなくて、なおかつ治安が良い方がいいというのなら、これはもう「秘密警察」組織を導入するしかない。甘え・無責任でその果実だけ享受しようと思っている人たちに、何らかの不都合が振りかかるのは、当然の報い、天誅である。こういうのを自業自得という。「甘え・無責任・受動的」に生きることに基づく報いは、いくら無責任でも自分で負わなくてはならないのだ。


(03/02/21)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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