オーバースペック







自己否定力の欠如が、今の日本の停滞感を引き起こしていることは、最近メディアやジャーナリズムでもよく指摘されている。高度成長期の成功体験がイノベーションの妨げになっているというのだ。ここでも何度も書いているように、この自己否定力は個々人に備わった資質である。だからこの欠如は、組織やシステムでは補えない。一人一人がマインドアップしてはじめて成し遂げられるの。だからこそ自己否定力が、ビジネスでも学問でもスポーツでも、あらゆる分野で成功のカギとしてクローズアップされている。

しかし、これが「真」だとするなら、見方を変えれば、日本人には自己否定力の資質を持つ人材が乏しいからこそ、昨今の停滞感を引き起こしている、ということもできる。そうだとするなら、「失われた十年」といったマクロ的な問題だけでなく、日本社会の色々なところで、この「資質のなさ」が発露しているはずである。果たせるかな、自己否定ができないという問題は、そういったロングスパンでの構造的影響のみならず、個々のビジネス上の競争という局面でも、大きな問題を引き起こしている。

ネットバブルの頃には、世の中のスキームは半年も続かないという「ドッグイヤー」という言葉がはやった。しかし、この言葉自体は今でも意味がある。世の中は20世紀の産業社会から、21世紀の情報化社会、ディジタル社会へと移行した。同じに右肩上がりの高度成長は過去のものとなり、安定再生型の経済に移行した。こういう状況下では、画期的な付加価値を持つ商品やサービスを創り出したとしても、その優位性が発揮できる期間は極めて短くなった。先行できるリードオフタイムはせいぜい半年である。余程画期的なものでも1年が限度だろう。そういう意味で、世の中は「ドッグイヤーが常態」なのである。

実は、昨今の中国の発展も、このドッグイヤーと密接な関係がある。中国の競争力の根源として、低コストの労働力の活用や、中国4000年の商魂があげられることが多い。しかし、それだけではない。そもそも中国人の伝統的ビジネス観は極めて刹那的で、「儲けられるときには稼げるだけ稼いで、勝ち逃げする」という極意がある。華僑の商法などこの典型で、ビジネスチャンスがあると見るや、動員できる資金を思いっきり投入して先行するが、フォロワーが出てきた時点で欲を出さず、サッと手を引いてしまう。

砂漠のサボテンは、年に数回しかない雨が降ると、一気に水分を吸収し、肥大化し花まで咲かせる。しかし、それ以外の一年のほとんどは、只々ジッと機会を待ちつづける。ちょうどそんな感じである。機を見るに敏だが、引く時も素早い。そして確実に利ざやを稼ぐ。このスピード感が、ビジネスモデルの均衡点がショートスパン化している時流にあっているのだ。台湾のパソコンのボードメーカーとか、振り逃げのごとく新製品を出しつづけているが、まさにこの商法の成せるワザである。

その一方で、日本では商品でもサービスでも、最初から5年も10年も持たせるつもりでビジネスモデルを構築することが多い。その結果、高コスト化し採算分岐点が上昇し、今度は始めたら簡単にはヤメられないというオチまでつく。これもまさに、自己否定力の弱さの結果である。一旦始めると、始めたこと自体を否定できない。だからこそ、長いスパンを前提にしたモデルを考えてしまう。高度成長期には、市場自体が拡大していたので、ビジネスモデルの陳腐化が目立たなかった。だから、このような発想の人間でも、それなりに商売になったというだけである。

ロングスパンで考えたビジネスモデルの行きつくところは、オーバースペックである。オーバースペックと言えば、旧国鉄の車輛が代表的だ。ひたすら丈夫で、ひたすら耐久性がある。しかし、それが必要限度を超えていた。その結果、製造コストはもちろん、重く大型化することで、運用コストも無意味に増大してしまった。同じことがビジネスモデルにもいえる。オーバースペックなビジネスモデルを実施するためには、組織が肥大化する。その結果、意思決定は遅くなり、コストも大きくなる。どんどん時流に合わせることができなくなるバッドサイクルがここにある。

そもそも一旦成功したら、もうその時点でそのモデルには興味がなくなる、というぐらいのマインドが必要だ。ピカソやマイルス・デイヴィスは、その生涯において、いろいろな新しい表現法にトライし続けた。可能性を探求する習作のような作品が数多く残されている。しかし、それは反面、あたかも一つの表現法の可能性が見えてしまえば、それを使った決定的な作品を創り上げなくとも、その表現法に興味がなくなってしまうかのごとくである。彼らはまさに、常に自己否定を繰り返してきたからこそクリエーティブなのだ。

そのぐらいの新陳代謝を繰り返してはじめて、付加価値は維持できる。完成することを目指さず、常に現状を自己否定しつづけることが、いまのビジネスには求められている。成功に安住することなく1年、いや半年毎にモデルを見なおし、コンセプトを一新しなくてはならない。商品開発にしても、店舗の内装にしても、あくまでもそのくらいのスパンでリフレッシュができなくては意味がない。成功したら、もはやそのビジネスモデルは通用しなくなる。だからこそ、偶然当てた「一発屋」では通用しない。「自己否定の達人」が求められる理由である。



(03/02/28)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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