「大衆社会」を相手にせず






20世紀の日本に代表されるような右肩上がりの高度成長経済の下では、常に規模の経済の追求が行われ、それがマーケティングにおいても常識化していた。数が多いほうが正しく、利益も大きい。「大きいことはいいこと」が無条件に受け入れられていた。しかし、誰も疑うことのなかったその「常識」は、あくまでも悪平等なほどに大衆化の進んだ、バブリーな高度成長期にのみ通用することであった。成熟社会に入った21世紀では、もはや規模の経済は意味がなくなっている。

こういう情勢下で、なお規模を追求しようとなれば、そこには「価格破壊」しか残っていない。だが「価格破壊戦略」で拡大路線を取るということは、採算分岐点を越えても規模を追求することに帰結する。これでは、結果として利益をどんどん食ってしまう。安定成長下では、規模のメリットは生まれない。この面からも、規模はバランスの取れた程々のレベルに抑え、その中で付加価値を追求する経営こそ、成熟社会での成功のカギということができる。

モノやサービスの付加価値のカギになる「商品力」は、人間のクリエーティブなアイディアからしか生まれない。どんな理論や手法を駆使しても、組織やコンピュータからはクリエイティブなアイディアは生まれない。コンピュータやネットワークがいくら発展しようと、ロボットや自動化がいくら進もうと、組織論やシステムがいくら高度化しようと、それを使いこなす人間がいなくては、ゼロはゼロのまま。価値は、そういう仕組みやシステムの側からではなく、人間の「創る」力からのみ生まれる。

クリエーティブなアイディアは誰にでも出せるわけではない。その「能力差」は歴然としたものがある。だからこそ組織の中では、早いうちから相手の創造性を見ぬき、それを伸ばして行くことが、必要になる。ちょうど、歴史に残る画家には、無名な修行中の新人時代にその才能を見ぬき、支援を惜しまず大成させたパトロンの画商がいるように。こうして、メンバー一人一人が自立した個人になり、創造力をフルに発揮してはじめて、その人間集団が組織としてのパフォーマンスをあげられる。

その一方で、その商品やサービスの付加価値を評価し、それに見合ったコストを支払っても「欲しい」と思うことも、決して誰でもできるものではない。価値のあるものをキチンと見ぬくことも、これまた才能の一種である。付加価値とは、それを生み出す能力を持ったヒトからのみ生まれ、それを評価する能力を持ったヒトにのみ評価される。そもそも、付加価値を、「大衆」が広く評価することはあり得ない。一部の、それを感じ取るセンスのある人にのみ通じるからこそ付加価値なのだ。

その意味でも、もはや均質な「マス」をターゲットとする時代ではない。ターゲットは「付加価値を評価できるヒト」でなくてはならない。もちろん、結果としてそこからターゲットが拡大し、ある程度の数が出るコトもありうる。高級ブランドブームなどはその例だろう。中身がわかるヒトに、そのデザインや素材の質が評価されるものであるからこそ、ブランドがブランドとして成り立っていることを見逃してはならない。ポスト・マスマーケティングの方法論のカギは、とりもなおさずここにある。

いままでの産業社会では、巨額の設備投資を可能にする資金力や、官庁等の許認可権に代表される既得権の確保が、ビジネスモデル成功のカギと思われてきた。それは、あくまでも「大きいことはいいこと」であったがゆえに、規模を確保するための手段であった。しかし、その時代は終わった。これからの21世紀では、今まで何度も述べてきたように、人間からしか生まれない「オリジナリティー」「クリエーティビティー」が、ビジネスモデル成功のカギとなる。

今まで日本の企業の構成員は、「顔を持った個人」ではなく、肩書にぶる下がった「匿名の組織人」ばかりだった。こんな企業は、これからは生き残れまない。組織より前に、あくまでも個人がある。「甘え・無責任・受動的」ではなく、「自立・自己責任・能動的」に行動する新・日本人。それはまた、各々のメンバーの持つ役割も明確になり、おのずと、その人材を活かす「適材適所」の活用も可能になる。そういう人材の集まった組織なら、組織もまた自律的に活性化する。

ネットバブルのようなバブルな時期はいざ知らず、昨今のように厳しいマーケット環境下では、机上で練り上げた理詰めのビジネスモデルでは通用しない。「自分の欲しい商品やサービス」といった、等身大の発想からスタートしたビジネスモデルでなくては成功はおぼつかない。人間の顔を持ったビジネスモデルの構築ができるようになれば、日本の社会は、第二段ロケットに点火し、産業社会の時代とは違った新しい発展が約束されると言えるだろう。

(某所にて筆者が行った講演を元にまとめました)




(03/03/14)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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