やったもの勝ち






現在の閉塞感を打破するためには、人々の問題意識を高めて世論を喚起する必要がある、という論調は相変わらず多い。同じように、世の中がダッチロールを繰り返しているのを、マスコミのワイドショー的報道姿勢のせいにして、したり顔になっている論者も多い。しかし、良く考えて欲しい。世の中が動くためには、本当に「世論」が形成されなくてはいけないのだろうか。社会のほとんどの事象は、世の中がどっちへ動こうと、それとは関係なく、自分の意志でやってしまえばできることだ。それをやらないことを、世の中のせいにするというのは、明らかに甘えである。それに、そもそも世論はそんなにありがたいものではない。

多数決原理をとる以上、社会主義的な「結果の平等」がもたらされる。これは、民主主義の宿命である。あのルソーでさえも、「社会契約論」において、多数決の結果の民意を「全体意志」と称し、社会全体のあるべき姿である「一般意志」とは異なるものと規定している。しかし、その後の論者においては、まさに「多数の圧力に屈する」がごとく、この違いは曖昧にされ、多数決の結果こそ正しい選択ということにされてしまった。愚衆の数の暴力は、必ずしも正しさを意味しないことは、元来、社会契約という発想の中にビルトインされていたにもかかわらず、だ。

どんなルールをとろうとも、競争をする以上、順位はつく。順位がつくということは、一人の優勝者を残して、あとは「負け」ということだ。必然的に「負け」の人のほうが数は多いことになる。ここで多数決原理を取り入れてとられる政策を考えれば、「負けた人」が損をしない、あるいは「負けてもそれなりに得がある」政策ということになる。「数が正義である」という論理を取る以上、これは避けて通れない。世論とは「負け組」の甘えを正当化するための道具、という根本的な問題は構造上付きまとう。

実は、これを防ぐ方法はある。それには、種目数を多くし、なおかつ、圧倒的に強く「勝ち目」がある人以外はその種目に出ないようにすればいいだけのことが。人数分だけ種目があれば、実は全員「不戦勝」で優勝というエレガントなことも可能だ。つまり、現状の問題は、「悪平等原理」によるリソースのムダ遣いにある。非効率的な部門、負けている人にも、それなりにリソースが投入され、ムダになることがわかりながら、許されている。これが問題なのだ。しかし、、そもそも「結果の平等」を求める人はそういうことは考えない。

というわけで、悪平等原理によるリソースのムダ遣いという問題を解決するには、いうまでもなく新古典派的な「市場原理による最適配分の実現」が最適解である。民事不介入ではないが、経済や生活関連においては、政策的干渉を一切排してしまえばいい。その結果生まれる外交と軍事だけの「小さな政府」のメリットは、それだけではない。この領域だけなら、まだ民主主義の多数決原理に従って政策を決定しても、経済政策ではないのでそれなりに良識ある判断が期待できる。また、まかり間違って利権誘導を図ろうとしても、それが「悪平等政策」になる危険性は少ない。

そもそも国毎の許認可や保護政策は、本当にやる気のある「起業家」にとっては、足を引っ張るだけで、何ら意味のないものである。今や、資金も、市場もグローバルで展開している。もはや人材だってそうだ。ある国である事業をやる上で規制があったとしても、その面で規制のない国や地域はどこかにある。そこを拠点として事業を行えば良いだけである。逆に言えば、そういうところを探し出し、そこで事業を展開しない限り、グローバルレベルでの事業の最適化は不可能である。ということは、誰か競争相手がそのポジションを取ってしまえば、事業の優位性はおぼつかないことになる。

ネットワーク時代、IT時代だからこそ、いままでは理論上の産物だった「事業を行う場の最適化」が現実のものとなった。起業家にとっては、事業の優位性を担保する意味でも、最適な場での事業展開は必然である。逆にグローバル化の進む今のような時代に、保護や規制を行うことは、その国から、本当に「できる」起業家が流出し、甘え・無責任型の経営者ばかりになってしまう。まさに、今の日本がそれである。ということは答えは簡単。日本の社会や政府のコトなど無視すればいい。「やったもの勝ち」なのである。

しかし考えかたを変えてみれば、これは決して悪いことではない。起業家当人の立場で考えてみよう。起業家は、規制があれば、規制がない国や地域で事業をやればいいだけのことである。そんな枠組みには、そもそもコダわっていない。事業を行う場は、どこでもいいのである。その一方でマーケットとしての可能性はどうか。規制や保護に安住している人が多いということは、真っ当な商品やサービスが提供されていないということだ。これは、いいかえれば、大きなチャンスがあるということになる。日本人が「景気が悪い」という一方で、海外の企業や投資家が、日本にはまだまだチャンスが潜んでいる、と判断している理由がこれだ。ほら、先にやっちゃった方が勝ちだって、実感がわいできたでしょ。


(03/05/02)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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