許認可と無責任







いうまでもなく、未だに日本では、多くのものに「監督官庁の認可」が必要とされている。これが、日本の社会や経済の活力、競争力を奪っていることは論を待たない。だからこそ、規制緩和、構造改革が求められている。いわば、日本社会の癌である。そこにオイシイ利権を見出しているヒトも多く、そういう「抵抗勢力」をいかに排除するかが、構造改革のカギとなっている。そこで良く出てくるのが、「規制緩和し、自由化すると、安全や質に責任が持てない」という方便である。こんな話、真っ赤なウソなのだか、規制緩和の話になると、常套手段のように出てくる。

昨今の小泉改革でも、規制緩和の一環として酒の販売、クスリの販売の自由化を計画していたのに対し、既得権益を持つ抵抗勢力は、この理由を持ち出してきた。規制緩和が構造改革の目玉であることは、論を待たない。しかし、どのような改革案に対しても抵抗勢力の論理は同じ。この論理が持ち出されることも多い。そもそもこの主張には、根源的なところに矛盾がある。認可があれば責任が持てるかといえばそうではない。逆に許認可とは、何かあったとき、官庁の認可に責任を押し付け、自分の責任を逃れて無責任に過ごすためのものである。

本当に、安全や質に責任を持つには、自由競争の市場原理しかない。消費者はバカではない。多数のユーザーの目が光って、その選別に常に晒されている状況こそ、最もクォリティーが高くなる条件である。よくいわれているのは、そういう消費者の目を、官僚はエリート意識からバカにしており、それが許認可制度を生んだという説明である。しかし、これは勘違いである。許認可利権が肥大化した最大の理由は、「官尊民卑」の体質ではない。許認可で一番得しているのが誰か考えればすぐわかる。それは「甘え・無責任」な大衆が求めたからこそ肥大化したのである。

向上心や倫理観のない「庶民」が、そもそも隠れ蓑としての「許認可」を求める土壌がある。それに便乗して、官僚が跋扈しているだけである。もし、大衆の側に規制を好まない体質があるのなら、官僚がいかに利権のエサを蒔いても、それにほいほい乗っかってくるわけがない。大衆とはそういうものである。許認可で、市場原理が働かなくなれば、当然、自助努力をしなくなる。質も下がるし、裏でズルを働くモノも出てくる。それで楽ができる、それで得になる人達がいる。それが、社会の癌となるのだ。

今、建設業が公共事業に群がる利権の亡者として、悪の権化の槍玉に上がっている。しかし、建設業というモノ自体が、本質的に悪なワケでもない。こういう時代にも、堅実に事業を行い、安定している建設業者もないわけではない。問題なのは、利権にすがって自助努力をしなくなったヒトが、建設業に多いという点なのだ。それは「魚心あれば水心」というか、甘い蜜を吸いたいヒトと、甘い蜜をばら撒くことで自分の居場所を作ろうというヒトがいて、その思惑が見事に一致した結果というべきだろう。

そもそも日本人の多くは、ほとんど向上心がない。もちろん、全てが全て「テコでも動かない」というワケではなく、切羽詰れば努力するのだろうが、ちょっとでも抜け穴があると、そこで甘い汁を吸おうとする。性善説・性悪説ならぬ「性甘説」とでもいおうか。とにかく発想のベースが「寄らば大樹の陰」なのである。だから、企業組織も、そこに群がって甘い汁を吸うためのものとなってしまう。デフォルトが、既得権にすがって楽をしようとする人達なのだ。これでは、努力するヒト、向上心を持つヒトが損を見る。それで許されてきたのが、今までの日本である。

しかし、抵抗勢力が真剣に抵抗するということは、彼らが直感的に、規制緩和した方が市場が活性化し、既得権だけで本質的な競争力を持たない彼ら自身では太刀打ちできなくなってしまうことを直感しているからだ。先住者であっても、本質的な優位性を持ち、競争力を持っているなら、何ら抵抗する必要などない。そこに「負けそうな臭い」を感じているからこそ、利権を離すまいと抵抗するのである。だったら、本当にやる気のあるものにとっては、このチャンスを逃す手はない。

逆説的になるが、抵抗勢力が強いところほど、既存の利権や規制にとらわれない自由な発想をする起業家にとっては、大きなチャンスが潜んでいるマーケットともいえる。「抵抗」こそチャンスの明かしである。それこそ建設業でも、不要な道路工事こそ減るかもしれないが、世の中が動いている以上、ある一定のニーズは必ずある。そして、既得権に浸りきったヒトには、そのニーズを掘り起こすためのマーケティングは不可能なのだ。

金融関係もそうであろう。護送船団方式に慣れ切ってしまい、顧客をキチンと見つめたマーケティングをするという発想すらない。多分金融界は、古典的なマス・マーケティングの手法でも充分差別化できるぐらい遅れている。顧客の目で求められる商品を作るだけで、圧倒的に優位性を獲得できる。ということは、既得権の抵抗勢力が反対しようが、脱法行為であろうが、やってしまったほうが勝ちである。既得権のある領域こそチャンス。この発想の転換が進めば、日本は簡単に、ボトムアップ型でパラダイムシフトをとげるだろう。


(03/06/27)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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