武士道の二回の死






明治の元勲、伊藤博文に関しては、歴史に残る人物だけのことはあり、その功も罪も、並々ならぬスケールのものがある。その帝国主義的政策には極めて問題も多い。しかし、政治家として評価すべき点も多々ある。その代表的なものは、明治国家のグランドデザインであろう。日本という国の本質をここまで深く考えた政策は、前にも後にもない。彼は明治日本のリーダーに求められるメンタリティーとして、武士道の持つ「公に対する責任感」という要素をクローズアップした。彼等に、自らの責任において、公共的正義を貫徹すべく国を引っ張ってゆくことを求めた。

確かに、明治前期においては、江戸時代に生まれ育ち、武士道教育を受けた層が歴然と存在していた。彼等は儒教的ストイシズムと責任感を持っていた。これには、西欧の近代国家のリーダー層に求められていたメンタリティーである、「ノブリス・オブリジェ」と通じるものがある。自らの犠牲と責任を以て、「公」のために最適化した政策を遂行する。このためには、それを支える人徳・メンタリティーを持っていることが、なによりも前提となる。そして、そういうマインドを持つ層が、「エリート」として国をリードして行けば、明治の日本という国家は機能する。そう考えたのである。

さらに、急速に欧米に対しキャッチアップを図るべく、近代国家の君主という面と、国民統合の象徴という面という、天皇の持つ二面性を活用した。つまり、近代国家をリードするエリート層がいる一方、従前通りのメンタリティーを持つ「庶民」もいる構造を残したまま、この両者を結ぶピボットとして天皇のプレゼンスを活用しようとした。そして、明治時代を見る限りにおいては、その試みは成功した。少なくとも、この時代においては、政・官・財、どの分野においても、あるレベル以上の存在感を残した人間は、皆人格者であり、文化・教養的な素養も高い。こういう人たちが基盤を築いたからこそ、それなりの国家となったのである。

しかし、ここにはおとし穴があった。20世紀を迎えると共に沸き起こった、世界的な「大衆社会化」である。これは、近代産業社会的スキームを基盤としていた国には、産業社会の持つグローバリズム的構造に乗り、必然的に伝播してしまうものであった。しかし日本においては、「大衆」たるべき層は、近代的な「個」を確立することなく、江戸時代の庶民カルチャーの延長上にあった。そういう「大衆」が、近代産業社会的な意味での政治的・経済的「権利」を得てしまうことになった。これが武士道精神の第一回目の「死」である。

大衆社会化とともに、「エリート」は人徳の問題ではなく、偏差値の問題となってしまった。テストで点を取るのが上手ければ、チヤホヤされ、「偉く」なれる。そんな社会が歪まないハズがない。人徳は、幼少期からの全人格的な教育によってのみしか形成されない。そういう環境にない人間は、後天的に努力しても、所詮たかが知れている。努力次第でナントカなる、学校のテストの成績とは違うのである。武士道精神を持ったリーダーを再生産するシステムを構築するより早く、大衆社会化が広まってしまったのだ。

この結果、貧農出身であるが、テストの点を取ることだけは上手いという層が、陸軍大学、海軍大学でいい成績を残したというだけで、青年将校になり、軍の幹部になる。同様に、帝国大学を出てを出てだけで、高級官僚として権力を握る。彼等は、テストの点こそいいが、人徳を学ぶ機会なく育っていた。これにより、武士道教育を受けた層が再生産される可能性は消え去った。これとともに、伊藤博文や井上毅が理想としていた、明治国家のグラウンドデザインは破綻した。その先にあったのは、「甘え・無責任」な連中が、責任だけを天皇の名に押し付け、自分の欲望のまま暴走する戦前の軍国日本であることはいうまでもない。

それでも、都市部においては、細々ながら「武士道精神」の再生産が行われていた。都市の上流層では、昭和初期にいたっても、明治期のエスタブリッシュメントたちが築き上げたモノが、モラル上の規範となっていた。ヒトに迷惑を掛けず、自己責任でつつましくいきる生きかたを持つヒトもそれなりに存在していた。そして、それなりのステータスを得、都会の高級住宅地に居を構えるということは、そういう「武士道精神」を受け継ぐメンタリティーも自らのものとすることが前提となっていた。

その伝統が飲み込まれ、忘れ去られることになった第二の波は、高度成長期に見られた、「団塊の世代の集団就職」である。すでに別項で分析したように、彼等・彼女等は、その農村・大家族的なメンタリティーを残したまま、都会にやってきて、ニュータウンを形成して集住した。そこは、大都市部でありながら、武士道精神の最後の砦たる戦前からの都会的メンタリティとは全く無縁の世界である。そして、それを温存したまま、甘え・無責任が跋扈する、今の日本の文化的状況を現出させた。これが第二の「死」である。

高度成長期を通して進展した、都市部・農村部の人口逆転と共に、ついに武士道の伝統を受け継ぐ日本の「都会的メンタリティー」さえも、江戸時代の庶民メンタリティーを受け継ぐ「甘え・無責任」文化に侵略されてしまったのだ。日本史上最大の悪政たる「農地改革」で土地を貰ったような連中のDNAには、そもそも「責任感」というものがない。当然、その子孫たちに自己責任やガバナンスを期待することは不可能である。ましてや「ノブリス・オブリジェ」おや、である。

しかし、全てが「甘え・無責任」の庶民文化に飲み込まれ、武士道精神の伝統が消えてしまったわけではない。ミームの中に深く刻み込まれた「自立・自己責任」の儒教的ストイシズムを、今も受け継いでいるヒトは、確かに存在する。かえって、単なる社会的環境ではなく、ミームとなっている分だけ、その絆は深いともいえる。日本が再び光を浴びるためには、もう一度伊藤博文や井上毅の描いた理想的国家システムを、今ここにある「自立・自己責任」な層と、「甘え・無責任」な層との関係として再構築することが必要である。そして、その核となる「責任感」を持つ層は、毅然として存在している。


(03/07/18)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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