団塊の辞書に戦略の文字はない






団塊の世代といえば、その団塊たる由縁として、「群れる」「付和雷同」といったキーワードと共に語られることが多い。それはとりもなおさず、「求心力だけあって、実は中心がない」という、彼等特有の「集団精神」をクローズアップさせている。カタマリは大きいが、そこには明確な戦略や方向性はない。すなわち団塊世代とは、「戦略的発想」からは最も縁遠い存在なのである。高度成長期がこういう発想を生んだのか。こういう世代がいたからこそ、戦略なき経営になってしまったのか。恐らく両方であろう。なんという相乗効果であろうか。

団塊世代といえば、彼等の潜在意識の中には、日本の伝統的な農村共同体のムラ社会のミームが、深く刻まれている。そういうムラ社会的行動様式の基本は、「なぁなぁ」の馴れ合いにある。誰かが勝ってはイケないし、誰も勝とうとも思わない。「甘い汁はみんなで山分け」こそ、その本質である。だから、利権・談合社会が生まれるのだ。基本はこういう土壌にある。誰も「一人勝ち」を狙わない社会なのだ。そうである以上、「勝つための方策」である戦略は生まれようはずがない。

90年代、ポストバブルの時代の日本。その時期は、戦略的に動けば楽に一人勝ちできる、絶好のチャンスが続いていた時代である。実際、それに成功し「勝ち組」になった企業もある。しかし、日本企業の多くは、馴れ合い、現状維持の方に走った。それが「失われた10年」である。この裏には、この時代においては、団塊の世代が企業の幹部の中心となり、団塊的メンタリティーが日本企業の主流となってしまったコトが大きい。特に、競争が身上である企業社会において、真っ当な競争を封じる向きに「不景気」が働いてしまったのだ。

同様の例は、インターネットでもしばしば見られる。頭でっかちの「評論家」タイプが、自己満足的にハバを利かせている姿には、しばしば出くわす。彼等は、自分では本質を理解できず、当然実践もできないのだが、イッパシのことをいうことで、自分がその領域を制覇した気になっている。情報化が進み、知識や理屈は誰にでも手に入る時代となった。そうなってもまだ、「知は力なり」のつもりでいるのだから始末が悪い。いや、知識があれば何とかなると思っている人達が、情報化社会という、知識は誰にでも簡単に手に入る時代を迎えて、大いなる勘違いに浸っているというべきであろうか。

基本的に、大衆は理屈好きである。まことしやかな理屈をこねくり回し、相手を批判すれば、それだけで自分が偉くなった気になれる。団塊の大衆には、この傾向が特に強く見られる。それだけでなく、物事を「理屈化」することでコトバ面だけで納得し、自分でその気になってしまうという「習性」も健著だ。いわば「有言・不実行」である。この傾向は、「甘え・無責任」の体質を増長させている。このような思考については、団塊Jr.もよく似ている。団塊Jr.は、決して「一神教」的メンタリティーではないのだが、「群れたがる」ところと、「理屈で納得する」ところは、親達とうりふたつである。

そういえば、問題の多い会社ほど、他人事のように自社を批判する「社内評論家」が多いという。真っ当に考えれば、自分が当事者なのだから、他人事のように批判する前に、自分がどうすべきか考えるのがスジというものである。それを実際に行動に移せるかどうかはさておいたとしても、自分のすべきこと、自分の目指すべき目標を思い描くべきである。それをやらないというのは、これはもう、最初から自分が当事者で責任があるというコトを自覚していないことを如実に示している。

それはまた、物事の本質がわからず、結果、本来的にはどうでもいい枝葉末節のディーティールにばかりコダわり、エネルギーを消耗してしまうことにもつながる。まさに団塊の世代が現場の中心だったバブルに向かう80年代。日本の工業製品は、過剰スペック、過剰仕様の競争に陥っていた。誰も使わない機能や、商品の付加価値には全く貢献しない機能をこれでもか、これでもかとテンコ盛りした。これなども、彼等が現場の権限を持っていたからこそ起った茶番の一つということができるだろう。

前に論じたように、団塊の世代には「付加価値」を評価できるヒトは少ない。自分自身の自律的な視点で、付加価値が評価できないヒトがほとんどである。それが単に「記号」としてのブランド観を生んでいる。そもそも人間というもの、見たことも聞いたこともないこと、体験したこともないことを、理解することは難しい。戦術を戦略と取り違え、それで済んだ人生を送ってきた人たちに、本来の意味の「戦略」を理解させようというのは、どだい無理な話かもしれない。そして、今や「戦略」なくしては、国際社会の中で立ち位置を持てない時代なのだ。そういう視点でも、この限界を突破する唯一にして最善の方策は、世代交代を進めることをおいて他にない。


(03/08/01)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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