人間系の時代






ネットワーク社会だ、IT社会だといって、コンピュータのセキュリティーについてはとても厳密な論議がなされることが多い。また、技術的にも日進月歩で、より高度で厳重なセキュリティーの技法が考案されている。もちろん、全くセキュリティーがない状態、あるいはほとんどない状態のネットワークやコンピュータなら、そこに侵入してデータを取ってくるというのが、もっとも簡単なハッキングの方式だろう。しかし、セキュリティーが高度になればなるほど、ハッキング自体が目的のマニアはさておき、データの入手が目的ならシステムへのハッキングは間尺に合わなくなる。

それは、システムがシステムだけで完結するものではなく、必ずそれを利用する人間がいるからである。そうである以上、システム自体をハッキングするより、その利用権を持っている人間を篭絡した方が余程手軽だし、コストもかからない。過剰のコストを掛けてセキュリティーを高めても、それは本気で情報入手を狙うヒトに対して、システムではなく、人間をターゲットにしたほうがいい、と判断させる閾値を下げる意味しかない。情報を入手したいヒトがハッキングに向かったのは、その方が人間を攻略するよりも、情報入手コストが安かったからに他ならない。

今では民芸品の店でしか見れなくなったが、木製のタライやオケは、側壁の板の高さが不ぞろいの場合、その中で一番低いレベルのところまでしか水は入らない。そういう「低い」板を残したまま、他の板をいくら嵩上げしても、容量が増えることはない。システムについても、これと同じコトである。そのデータを人間が使うものである以上、システムがコンピュータやネットワークだけで完結するものではない。そして、そういう「広義のシステム」の主要な構成要素である「人間」は、セキュリティー的に極めて脆弱なのである。それをわきまえないコンピュータ・セキュリティーは、まさに無駄なコスト、ということになる。

稼動と共にまたぞろ話題になっている「住基ネット」の問題も、同じコトである。すでに何度も表明しているように、個人的には、全ての情報はディスクローズされるべきであり、プライバシーなどというものは、後ろめたいところのある人が主張するものだ、という意見である。したがって、システム化自体については何も反対するものではないが、確かに現状での運用には問題なきとはしない。それは、そのシステムを使う人間が、「人品卑しき役人」という点である。これは現状でもそうなのだが、役人連中が情報を管理している点が問題なのである。

本来ならシステム化により、人間系も含めた大刷新が行われるべきである。そうであるなら、システム導入と共に、住民情報を扱っている地方公務員の大規模なリストラが行われなくてはおかしい。タダでさえ、地方公務員の「楽で高給」という待遇は問題が多い。オマケに、財政破綻しそうな自治体が多い現状である。ここでシステム化により地方公務員を減らせれば、大幅なコスト削減による財務状況の改善と、情報に関わる人数が減ることによる、不正利用や悪用の危険性の低下が同時に果たせる。しかし、現実はそうなっていない。まさに、「役人には行政改革はできない」典型のようになっている。

そういう意味では、情報化、ネットワーク化が進めば進むほど、「人間系」の部分がクリティカルになってくる。機械仕掛けの部分は、基本的にはいつかコモディティー化する。そこでは差がつけられなくなるし、そこに凝りすぎても過剰投資になるのがオチである。質を決め、差を生み出すのは、全て人間系の部分ということになる。それはある意味で、原点回帰である。かつての「ホワイトカラー」のように、近代の組織においては、何も付加価値を生み出さない「作業」も、人間がやっていた。そこが機械に置き換わり、真に人間がやらなくてはいけない部分だけが、人間系として残った、ということもできる。

こういう社会になるからこそ、キーマンヘのアクセスがカギとなる。たとえば自分がアーティストとしてデビューしたいときどうするか。オーディションに参加する?地道にライブをやって階段を一段づつ登る?右肩上がりの産業社会の時代なら、そういう手もあったかもしれない。しかし、今はそれは正解ではない。ツテやコネを駆使して、一世を風靡する辣腕のプロデューサーに直接アプローチすべきである。そして、それは決して無理なことではない。相手だって、商売である。自分のビジネスにプラスになるようなネタを拒むわけがない。

インターネットの例を引くまでもなく、高度に情報化した社会では、あたり一面、種々雑多の情報で溢れかえっている。そして、そのほとんどはガセというか、極めて価値の低い情報である。そういう中で付加価値の高い仕事をしようとしているヒトが、ノイズに満ちたデータの中から、意味のある情報をロンダリングするなどという、手間ばかりかかってメリットの薄い作業をするワケがない。当然、システムより信頼できる人間系の情報に重きを置くことになる。だからこそ、アプローチは直接人間系に訴えかけるものが強いのである。

もっとも、この話にはオチがある。結局人間系を構築できるのは、その世界で極めて付加価値の高い仕事ができる、クリエイティブな人間に限られる。そういう意味では、古くから語られ尽くされたコトではあるが、マシン系のところに一つの境界線があり、マシン系以上の「仕事」ができる「価値を生み出せる人間」と、マシン系でもできる「作業」しかできない「価値を生み出せない人間」と、決定的に二分される時代になったということでもある。そうである以上、これもいつも言っていることだが、自分が価値を生み出せる領域がどこかをわきまえることからすべてが始まるのである。それが金になるかどうかは、また別問題だが。


(03/08/29)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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