常識とは何か







手練手管の繰り返しからは、何も可能性が生まれない世の中になっている。「チャンスをモノにするには、常識を疑うことが必要だ」と良く言われる。しかし、何が「常識」なのかと考えてみると、これが中々一筋縄では行かないものであることに気付く。まず、最もコアな「常識」は、「物事を良く見ていればわかること」である。たとえば、「太陽がどっちから登るか」。東とか西とかいう概念ではなく、まさに「どっち」という問題である。東日本の太平洋岸なら、「海から昇って、山に沈む」というヤツである。

この手の常識は、自分が住んでいる土地に応じて、そこで暮らしていればおのずと気付く。そして、陽が昇る方向、陽が沈む方向は、いつでも一定しており、逆の方向からは上がってこないことにも気付くはずである。気付かないのは、鈍感か、理解力、記憶力が閾値以下ということであろう。昨日どっちから陽が昇ったのか、次の日までに忘れてしまっては、そもそも議論にならない。このレベルの「常識」は、見知らぬ土地に行っても通用する。行った最初の日は、どっちから陽が出て、どっちに沈むのかわからなくても、一回日の出なり、日没なりを目撃すれば、次からはおのずとわかるはずである。

さて、ちょっと質が違うが「虫の足が六本」というような「常識」もこの範疇であろう。「昆虫」という概念を知らなくても、「足が六本ある生き物は、ひとつの仲間を形成している」であろうことは、自然を良く見ていれば気付く範疇である。もっともこの概念には、「中には例外がある」というところが、前の例とちょっと違う。虫の中には、足が取れて5本になっちゃったり、放射能を浴びて足が8本になったり、というのもいるかもしれない。それでも大方は6本ということ。それがわかっていれば、5本なのは6本あったのが取れちゃったということもわかるのである。

次の範疇は「一度経験すればわかること」である。経験したことのないヒトには極めて理解が難しいが、一度経験したヒトなら、誰でもわかること。そして、その経験的理解が普遍性を持つこと。これである。この例としては、「直方体のハコの展開図」なんかが典型だろう。3Dの物体を2Dとして捉えるのは、机上の思考だけで考えたのでは極めて難しい。中には、そういう思考にたけたヒトがいて、かなり難しい物体でも、たちどころに展開してしまったりするが、それは例外的な存在である。これは、2D上の写真やパース図を良く見ても、わからないのがふつうである。

しかし、一度紙とハサミで「ハコ」を作った経験のある人なら、そこからの類推で「展開図」を作ることは難しくはない。観念的思考で解を得るのは難しくても、経験的に解を導くことはできるし、一度解に到達したヒトなら、以後は、そこからの応用で類推が可能になる。以上の2レベルの例は、前者が「地学」や「生物学」、後者が「数学」や「物理学」と、基本的に「自然科学」の対象たる範囲である。社会通念の中で、ある種「常識」なのはここまでである。そこから先は、先入観である。つまり、社会学・人文学的な考察の対象となるものは「常識」足り得ないのだ。

すなわち、今の世の中だけのうたかたの「決め事」や、自分のコミュニティーだけのローカルルールは、「常識」でも何でもない。それを後生大事に信じていても、意味のない「先入観」に縛られるだけのことだ。たとえば、日本ではクルマは左側通行であるが、アメリカをはじめ諸外国では右側通行である。どちらもあるということは、「左側通行」というのは、常識ではない。したがって「左側通行」を常識化すると、ロクなことはない。端的な例は、外国に行って道に出たとたんに、戸惑って慌てふためくことである。

個人的な事例で恐縮だが、ぼくは海外に行ってクルマを運転するとき、右側通行、左側通行で戸惑ったことはない。アメリカに行けば、即、違和感なく右側通行で運転するし、日本に帰ってくれば、即、左側通行で運転する。それは、クルマは左側通行という「先入観」を、カラダに覚えさえていないからだ。「日本人には、クリエイティビティが不足している」といわれるのは、この「先入観の常識化」が著しいからに他ならない。何でもカタにハメた方が、考えなくていいのだから楽である。それが「甘え・無責任」の日本人の体質にしっくりきているということのなのだろう。

このように、何を常識とし、何を先入観とするかは、悉く「教育」の問題である。アタマの柔らかさ、堅さは遺伝の問題であるが、こればかりは決して遺伝の問題ではない。つまり、先入観のカタマリみたいなヒトが教え込めば、先入観まで「常識」にサレてしまう。その一方で、極めてフレキシブルな発想をできるヒトに世の中の「理」を教えられれば、先入観を余り持たずにいられる。右肩上がりの高度成長期ならいざ知らず、今の世の中、先入観は百害あって一益なし。チャンスの芽をつぶすだけの存在である。さあ、あなたは先入観なくモノを見れますか?


(03/09/05)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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