衆議院選挙の意味するモノ





衆議院選挙も、フタを開けてみれば「泰山鳴動して」というべきか、微妙に収まるところに収まって、イマいちインパクトに欠ける結果に終わったようだ。選挙結果の総括としては自民党と民主党の対決に目を奪われて、「二大政党制に近づいた」とか、マニフェストに代表される「政策議論が争点となった」とか言う論調が多い。だが基本的には、自民党も民主党も、党内に新古典派的な改革派から、「甘え・無責任」の守旧派抵抗勢力まで抱えているワケで、もう一段の政界再編があってはじめて、本当の意味での二大政党や政策論争になると言える。

そちらの方に向かって一歩踏み出したことは確かだろう。だが、まだ評価すべきと結果とまでは言えない。そんなこともあって、過渡期としては「結果としては、こういう線が妥当かな」という感じだろう。しかし、今回の選挙の結果にも見るべきものがある。それは、社民党、共産党という、反対のための反対以外に主張のない「無責任政党」の退潮である。ここにこそ、今回の選挙結果のポジティブな意味を見出すべきであろう。21世紀最初の総選挙にふさわしい、意義ある結果と言うことができる。

社民党(旧社会党)、共産党両党は、社会主義という衣を羽織っているものの、基本的な考えかたは、「甘え・無責任」で甘い汁を吸おうというゴロつきである。努力をしなくても、寄らば大樹の陰でおいしい思いをしようという主義だ。自分を「弱者」と規定し、甘い汁が吸えそうな相手を「強者」した上で、そこに寄生し、何らかの分け前を求める。彼らの言っていることは。世の中の分別のあるヒトにとって見れば「何を甘いこと」といわざるを得ないような、なんとも低レベルの主張である。

「社会福祉」は、そういう「革新政党」の好きな主張の一つだが、やっていることは、税金の再配分の分け前を貰うことにすぎない。「福祉」は公共事業や補助金行政と同じである。農業を事業としてやる気もないのに、補助金がおいしいがために「農家」を続けている、現在の農民の多くと同じである。そういう意味では、まさに55年体制とは、高度成長と共に肥大し続けた税収に支えられた、甘い汁を吸いあう共同体である。本来は自分で努力して、その成果を得るべきところを、「あなた任せ」で楽しようという発想は、「社会主義者」と「ケインジアン」に共通するものである。

また、彼らの典型的な主張の一つに、「企業=悪役」論というのがある。高度成長期においては、大企業のスネをかじれば、たっぷりと甘い汁が吸えるということから、こういう論理が出てきた。自分だけ働かないでヒトと同じ給料をもらおうという、給料泥棒の組合員。自分が経営努力を怠って、サービスも品揃えもよい大型店に客を取られたにもかかわらず、大型店の出店規制に走る中小商店主。彼らの主張は単純である。タカれるところにタカりたい。だから金を持っている大企業を悪役にし、そのフトコロを期待してセビレるだけセビってしまおうという魂胆である。

かつては確かに、企業自体が「寄らば大樹の陰」という、「甘え・無責任」な人々の巣窟となっていた。その意味では、企業の人間も「弱者」も同じ穴のムジナであり、分け前の再配分という主張も、全く見当外れというワケではなかったかもしれない。しかしバブル崩壊以降、日本では企業が最も厳しい状況に置かれ続けた結果、「甘え・無責任」体質の企業は「負け組」となり、存続できなくなった。今業績を上げている企業は、贅肉のないスリムな体質の「勝ち組」だけであり、そういう企業には、そもそも吸うべき甘い汁など残っていない。

さすがに、これだけ世間が厳しくなると、もともと高い才能を持っていた上に、人一倍努力したヒト、努力した企業でないと成功できない。そもそも甘い汁自体が世の中に存在しなくなっていることが、わかるヒトにはわかる状況になっている。世の中も決してバカばかりではない。社民党や共産党のような、「甘い考え」が通用するわけがない、と考えるヒトも増えてくる。今回の選挙の結果は、なによりもそれを如実に表している。成功したければ、まず自分を知り、自分で努力する。「常識」のあるヒトにとっては当り前のことであっても、それすらわからないヒトが多かったのが、近代の日本なのだ。

実は、高度成長期の残滓に浸りきっている両党の退潮こそ、旧来の政治体制のパラダイムシフトのメルクマールにふさわしい。これを経てはじめて、冷戦構造を引きずるイデオロギーの殻を脱ぎ捨て、「自立・自己責任」か「甘え・無責任」かという、本質面での対立軸を明確に出すことが可能となる。二大政党制とは、「右だ・左だ」のイデオロギーでもなく、「都市だ・農村だ」の地域でもない。それは、「自立・自己責任」で努力したものがキチンと評価される新古典派的なフレームと、「甘え・無責任」でやる気のあるヒトが損をするアカのフレームの対立である。結果として、そちらへ向かう大きな一歩を日本の社会が踏み出したことは間違いないだろう。


(03/11/14)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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