世代交代の持つ意味





21世紀に入り、いろいろな形で「パラダイムシフト」が問われている。変化する可能性の高いファクターは余りに多いが、こと日本企業を考えた場合、そこに所属する人間のマインドやメンタリティーの変化、すなわち世代交代が最もクリティカルな影響を持つと考えられる。それは、これから10年ほどで、あの「高度成長」を経験した世代が、企業やビジネス社会から一掃され、高度成長を知らない世代が、日本のビジネス界を引っ張って行くことになるからである。

「失われた10年」とも言われた、昨今続いている経済社会のダッチロールは、ある意味で、高度成長期的な方法論やノウハウが通用しなくなった社会と、そういうレガシーなガバナンスやリーダーシップしか持っていない世代が牽引する企業との齟齬の結果ということもできる。それは、社会、消費マーケットのモチベーションの方が一歩早く、新しいパラダイムへと移行してしまったからである。一歩前に行った社会と、一歩遅れた企業。この腸捻転が、これから5年、10年と経つうちに一気に解消する。世代交代の本質はここにある。

これからの日本のビジネス界をリードする企業人は、全てドルショック、オイルショック以降に入社した世代となる。特にあと10年も経てば、80年代以降に社会人となった人材ばかりになる。日本企業の歴史を振り返ればわかることだが、社会における企業の意味自体が、ドルショック、オイルショックを境に大きく変化している。それまでは、企業どんな場合も潤沢な資金を持ち、社内にいる人間にとっては、「寄らば大樹の陰の大樹」であった。また社外の人間にとっても、革新政党の「企業=悪玉論」に代表されるように、甘い汁を吸えるかじるべきスネであった。

では、当時の企業人とはどう言う存在だったか。経済は右肩上がりが基調である。甘い見通しも、多少の失敗も、全体のインフレベースの成長の中でもみ消され、よほどのことがない限り「結果オーライ」で許されてしまった。まさに「神風期待」の経営だが、その「神風」が常に吹いていたのだから、こんなおいしい話はない。なにもしなくても、終身雇用で年功給が保証されている。だから誰もリスクはとらないし、それでも咎められることはない。まさに「サラリーマンは気楽な稼業」を地でゆく時代だったのだ。

現場がそうなら、ボードもボードだ。経営に舵取りは必要なく、流れに任せていればいい。では経営者は何をしていたのかというと、実は現場の業務の戦略を考えていた。現場は、本来現場で決めるべきイッシューを、うやうやしくウエに上げ判断を仰ぐ。それは、無責任な棚上げ以外の何物でもない。しかし、経営者は他にやることがないのだから、業務判断が主たる仕事となっていた。当時、会長がほとんどの場合名誉職だったように、日本企業にCEOはなく、いるのはCOOだけだったのだ。

初期体験の刷り込みというのは恐ろしい。多くの場合人間は、自分が見聞きしたものを前提に、モノを考え、判断するからである。この時代に社会人となったヒトにとって、社会人としての初期体験とはが深く刻まれたこのような高度成長期の体験なのだ。これでは、現場では、率先してモノを考え、責任を持って戦術を立案しオペレーションを実行する人材など育たない。同時に、マネジメントとしての素養が育たない以上、肩書上は役員になったとしても、本当の意味で会社という「生物」の舵取りをダイナミックに行える人材など育たない。

一方ドルショック・オイルショック以降に入社した世代は、一時的にバブルの波こそあったが、基本的にはそういう恩恵にあずからなかった。70年代の物不足やスタグフレーション。80年代に入っての未曾有の円高。リセッションの波こそ容赦なく襲って来るものの、神風が吹いたのは見たことがない。利益は努力して出すもの。経営は、戦略を考えること。実は、日本企業の転換点は80年代にあった。この時代に高度成長期的な方法論から脱するなり、脱せないまでも高度成長期的な方法論ではもはやなりゆかないと悟った企業だけが、今「勝ち組」となっている事実が、なによりもそれを語っている。

高度成長期は、実は1ドル360円の「途上国」ニッポンが、欧米にコンプレックスを感じていた時代である。それに対し80年代は、ジャパンアズナンバーワンといわれ、日本のオリジナリティーとはどこなのかが問われだした時代である。そう考えてみると、ここ20年ほどが、富国強兵や拡大指向の軍国主義も含め、日本において19世紀以来基本テーゼであった、「西欧に追いつき追い越せ」というパラダイムの崩壊過程であったことがわかる。

また、この時代の社会の変化も見逃せない。すでに80年代から、外資系やサービス・ソフトビジネスを中心に雇用の流動性が高まり、終身雇用・年功制でないロールモデルがいくつも現れた。また男女雇用平等法も施行された。バブル期はそれまでの産業構造をぶち壊し、理系の人間も金融などのサービス業に進むものが増えた。基本的に、この両世代の代表は団塊世代と新人類であり、すでに何度も指摘している様に、そもそものメンタリティーや意識、行動様式が大きく異なっている。それだけでなく、社会人として見たものが全く違っている。

まさに今起りつつある「世代交代」は、大きくいえば、日本においては、幕末以来のパラダイムシフトなのだ。これだけ担う人々のありようが変化したなら、企業や社会の変化もハンパなものではあるまい。それが起りつつある以上、日本の社会は、確実に大きく変る。それは、今の50代以上の人たちの多くが想像すらできないほど大規模な変化である。しかし、これが実現すれば、今日本社会が抱えている「矛盾」は、矛盾ではなくなり、一気に解決するのだ。しかし、その次に来る企業の世代交代は、いつであろうか。それはバブル以降入社の「金利を知らない世代」が、企業の中心となったときだろう。それは2025〜2030年ごろ。彼らがビジネス界の中心となったときに、どう変るのか。次の関心はそちらへ向かうのだが。



(03/11/21)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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