2003年を振り返る






2003年もいよいよ終わりに近づいている。異常な気候だったとか、SARSだ戦争だと話題が多かったとか、人それぞれ今年に対して持っている感慨もイロイロなものがあるだろう。それよりも、2003年は後世の歴史家からは、より重要なエポックメイキングとして捉えられるのはないだろうか。それは、20世紀産業社会的な古いパラダイムから、21世紀的な新しいパラダイムに、パラダイムシフトが起っていることが、社会全体として周知の事実化した、ということである。もちろんパラダイムシフトはその前から起っているし、その一方で、今でも気付いていない人はいる。だが、社会の基本トレンドがこれに気付いた、という意味は大きいであろう。

まず企業に関する新しい視点が生まれている。新しい時流にパラダイムシフトを成し遂げた企業と、旧来のアンシャン・レジームから抜け出られない企業とのパフォーマンスの違いを比較し、「勝ち組と負け組」とする捉え方は、すでに90年代末の「金融危機」の頃から広く用いられてきた。しかしいままでは、その違いはどちらかというと「経営の選択と集中」とか、IT化やアウトソーシングによる「強靭なコスト構造」といった方法論の違いに求められる傾向が強かった。企業間の本質的な違いよりも、経営の戦略や手法の違いにその要因を求めがちだったからである。

だからその裏には、いまは「負け組」でも、体質改善を成し遂げれば「勝ち組」に転じることができる、という淡い期待があったことも否めない。しかし、それが所詮は期待に過ぎないものであることが明白になった。不祥事を起こす企業は、何度業務改善を行い、マインドアップを図ったとしても、またぞろ不祥事を起こす。そういう企業を再生しようとしても、一旦つぶして再構築でもしない限り、結局は元の悪い体質がアタマを持ち上げてきて、同じ穴のムジナになってしまう。欠陥車問題を多発した自動車メーカーや、不祥事を頻発した乳業メーカーのその後を見ていれば、「バカは死んでも直らない」ことがよくわかったと思う。

一方、「勝ち組」の企業といっても、勝ち組でありつづけるためには、常に体質を刷新し続けていかなくてはならなくなっている。勝ち組企業には、もちろん「勝ち組体質」を支えている、タフな人材が多くいるコトは間違いない。しかしこれらの企業も、高度成長期を通して存続し続けてきた。ということは、「寄らば大樹の陰」という体質の人材も、高度成長期の採用者を中心に、少なからず存在するはずである。いやこれらの企業は、その頃から「エクセレント」な企業だっただけに、他の企業以上に、「甘え・無責任」の受動的な組織人は多いのが現実である。それを、エクセレントな人材のパフォーマンスがカバーしているから、勝ち組となっているにすぎない。

それらの企業においては、その「内なる敵」としての、旧態依然とした体質にどっぷりと安住した人達を、どう意識改革するかが重要な課題となった。多くの場合これらの人材は、相対的に優位と思われてきた国内営業・販売部門に多く巣食っている。日本の製造業は、ケイレツ破壊に代表される90年代以降のバリューチェーンの見直し、最適化により、製造における効率は、世界でもトップレベルをキープしている。しかし、企業全体としての収益性は、欧米のグローバル企業に見劣りする。それは、この国内部門の非効率性にある。この改革が多くの勝ち組企業にとって、すぐにでも対応すべき重要な課題となっている。これらの企業の国内部門でトラブルが起ったときの、迅速かつ徹底的な対応は、まさに、「身中の虫」との対決が重要な課題となっていることを示している。

総選挙での社民党、共産党の敗北も、やはりひとつのエポックとなろう。彼らは、明確な主張を持っているようで、実際に行ってきたことは、いわゆる「ごね得」でしかない。55年体制とは、寄らば大樹の陰を求め、高度成長の分け前の分配を求める人たちが、寄ってタカって、利権に群がりつく構造であった。だから「革新政党」もまた、体制内の反体制として、利権構造の一部をなし、その体制の重要な構造物の一翼をなしていた。塀は両側から支えた方が、より安定するのと同じである。右肩上がりが続いている間は、いくらでも「ごね得」が通った。だから、その分け前にあずかろう、という人も少なからずいた。

だが、流石にそういう「甘え・無責任」が通用する、と考える人もいなくなったということだ。つけまわしで無心しても、出てこないものは出てこない。いまや、企業、それも勝ち組企業が、日本では一番最適化が進んだ組織である。そこにいくら無心しても、出せるものがない。今でもジャブジャブ金が余っているのは、官の世界だけである。しかし、これはもともと税金が出所である。自分が出したものを、自分で無心しても、それなら最初から税金を録られない方が良いに決っている。かくして、55年体制的な「ごね得」は、どんな美辞麗句でカムフラージュしても、現実味のない空論としてしか響かなくなった。

そういう視点では、個人のマインドシフトもずいぶん進んだ。一方で長年「寄らば大樹の陰」で暮らし、組織内で仕事をフるだけで何も「仕事」をしないまま来た人は、リストラされ、マインドシフトもできないまま、再就職もおぼつかない。その一方で、生涯フリーター的人生を選んだ人は、こういう世の中でも、贅沢ではないが、それなりに充実した人生をマイペースで送れる。まさに現代版「アリとキリギリスの世界」ではないか。大企業に入っても、自ら能動的に仕事ができない人は行き場を失い、地道に自分の歩幅を守ってきた人は、それなりに居場所を作れるということであろう。「年収300万」が流行語となったのも、その象徴であろう。

また、自己責任の考えかたも進んできた。たとえば、道交法の改正以降、飲酒運転の取り締まりが極めて厳しくなった。それまでは、特に地方では、居酒屋にクルマで行くのは当り前とばかりに、お巡りさんも、仕事明けにクルマで一杯やるのが常識であった。それは、赤信号みんなで渡れば恐くない、的な甘え心に基づくものであった。しかし、取締りが厳しくなって以降、飲酒運転をする人は減った。それは、みんながやるから、自分もやっちゃおう、という無責任な人たちが、飲酒運転をしなくなったからである。しかし、皆無ではない。今、それをやる人は、確信犯というか、自己責任でやる人だけである。

長年、低金利、ゼロ金利が続いたおかげで、リターンが欲しければ、リスクを取らなくてはいけない、ということが広く認知されたコトも、大きなポイントだろう。あわよくば濡れ手に粟、みたいな詐欺まがいの「外貨預金」がめっきり姿を消す一方、それなりに高いリスクを明記した上で、ハイリターンを期待する人には魅力のある金融商品もずいぶん現れてきた。また、この副次的な効果として、いままで日本では、「詐欺は騙された人に同情的」な心情が強かったモノが、次第に「欲に目がくらんだんだから、自業自得」という、自己責任の考えかたが広まってきたのは喜ぶべきことである。

このように、2003年は、こと日本の歴史においては重要な年になるであろう。しかし、だからといって安心してはいけない。第二次世界大戦の日米の死傷者のほとんどが、戦略的には雌雄の決したミッドウェイ以降に集中しているように、古今東西を問わず、戦争の犠牲者は、戦略的には雌雄が決してからのものである。ということは、確かに今までは犠牲者は少なかったものの、これからは顕著になることは間違いない。しかし、分水嶺を超えてしまったものは戻れない。流れる血と屍を踏み越えても、毅然と旧態依然とした産業社会を超えてゆく。これが、来年からの我々の生きるべき道である。


(03/12/26)

(c)2003 FUJII Yoshihiko


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