未来を拓く力





人類はその誕生以来、「進歩」を続けてきた。何をもって「進歩」と定義するのかは、主観や主義主張の違いもあり、至って難しい面もある。個々の事象については、それを進歩ととるか、退歩ととるか、極めて意見が分かれることも多い。しかし人類の歴史を振り返ると、放っておいてしまえばどんどん増大するエントロピーに棹差しし、歴史自体が、ケイオスに向かうのを防ぎ、何らかの秩序を創り出すプロセスになっているコトに気付くはずだ。このダイナミズム自体を、ここでは「進歩」と定義付けたい。

さて、それがエントロピーを減少させるものである以上、この「進歩」を生み出す元は、ネグ・エントロピーを生成している。ということは、マージャンの点棒のように、行ったり来たりすることで手に入るものではなく、無から有を創り出すプロセスから生み出されるものである。人間の活動においては、それは知的創造活動に他ならない。まさに、情報活動の中でも、人間にだけできて、コンピュータやネットワークといった機械にはできない部分である。

では、進歩を生み出す知的創造活動とはどういうものだろうか。それは「楽してオイシイ思いをしたい」というモチベーションだろう。今までになかった新しいやり方やプロセス、システム等を生み出す元になるもの。それは、この「楽をしたい」気持である。この思いこそ、進歩の母であり、新しいものを生み出すエネルギーである。もちろん、全てのヒトが進歩を生み出せるわけではなく、その才能を持った人間は限られる。そういう選ばれた人々に、その才能を活かす動機を与えるものとして、「楽をしたい」気持は存在する。

知恵は要領よくやることに使うからこそ、進歩を生むのである。たとえば、ある仕事と、それをやる期限が与えられたとする。たとえば使える時間を10単位あるとしよう。10単位の時間は、コツコツやれば、その仕事をこなすのに充分な時間とする。ここで、10単位の時間全てをかけて、コツコツ仕事をすることも出きる。だが、これでは動物と同じ。永遠に同じレベルで進歩はない。しかし、ここで9単位の時間をかけて1単位の時間でこの仕事をやる方法を考えたヒトが現れたとする。今回こそ、かかった時間は10単位で同じだが、この手法を使えば、次からこの仕事は1単位の時間で済んでしまう。

これが、進歩なのである。楽をしたいという「情熱」が、知的生産を促し、イノベーションを生み出す。ひとたび楽できる「バイパス」ができれば、生産性は飛躍的に高まる。抜け穴を考えるからこそ、進歩が起るのだ。そういう意味では、コツコツ仕事をこなしたり、演繹的にモノを考えている限り、進歩は得られないし、未来は生まれない。しかし、これは別に、抜け穴を考える人間が偉くて、コツコツやる人間は劣っているという意味ではない。人間には、得意な領域の違う二種類のタイプがあるということなのだ。

従って、この違いをわきまえ、役割分担をすることが、人類社会の進歩、発展に繋がるのだ。西欧においては、比較的この役割分担はコンセンサスになっているし、その道義的な評価はともかく、西欧近代もっていたそれなりのプレゼンスとエネルギーの源はそこに求めることができるだろう。それは、西欧の精神的なルーツとして、古代ギリシャの文明や社会がモデル化されていたことと密接な関係がある。「市民と奴隷」「貴族と一般人」。呼び方はさておき、古代ギリシャにおいては、自己責任の人間と、無責任の人間という二種類の人間類型が存在し、役割分担をしていた。

なにも考えなくても、コツコツやっていればいいヒト。知恵を生み出し、要領よくやらなくてはいけないヒト。これは、二種類の才能、二種類の人間として、どちらも社会には必要な存在である。決して、善悪や上下ではない。類型や役割の違いである。たとえば、それが生み出す価値により、現世で得られるゼニは違うかもしれないが、きっちりと類型論に立っていれば、ゼニの多寡が人間自体の価値を決めるわけではないこともコンセンサスにすることができる。

もちろん、これからの時代においても、コツコツがいらないワケではない。しかし、より必要とされるのは、要領のヒトである。こういう類型の人材こそ、知恵、付加価値の源泉である。なぜか日本人においては、この類型が評価されにくいし、決定的に欠けている。よく誤解されるのだが、軍隊や鉄道のような組織でも、知恵はいる。言われたことをやっているだけの軍隊では、動きが硬直化し、戦闘で勝つことは難しくなる。逆に、同じ兵員、同じ武装でも、知恵次第でより強力に戦うことができる。鉄道でも同じことだ。知恵があれば、同じダイヤでも、より安全、より省エネで運行することができる。

そう考えてみれば、日本でも「勝ち組」といわれる企業組織では、「カイゼン」と呼ばれる創発的なソリューションが日常的に見られる。現場が、言われたことをコツコツやるだけではなく、知恵を出している。この事実もまた、進歩は知恵から生まれるコトを示している。もはや、旧日本軍や旧国鉄のような、硬直化した官僚的な組織が成り立たないのは明白だ。日本が国際的な競争力を持つためにも、組織の中から生まれる付加価値は必要だし、そのためには、なによりも要領よく楽する知恵を出すモチベーションを大事にすべきなのだ。


(04/02/20)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


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