大衆の求めるモノ






有識者や知識人が「大衆」を語るとき、決って出てくるのが、「誰かが愚衆を操作する」という議論だ。確かに大衆は愚衆かもしれないが、数が多すぎる。大衆を操作しようと思っても不可能だ。「大衆の意志」を知ろうとすることもなく、自分の意見を大衆に押し付けたいと思うヒトほど、「大衆が操作されている」といいたがる。しかし、そんなに簡単に動くものではない。大衆が「操作」されて動くように見えるのは、大衆の声なき声としての「意志」を汲み上げ、代弁したときに限られる。それは、声の大きい側が大衆に動かされているにすぎない。

「ウワサ」についての議論もにたようなところがある。都合のいいウワサを流そうとしても、そうは問屋がおろさない。ある話題がウワサとなるかならないかは、大衆の側にかかっている。大衆一人一人の心の中に、陰謀説じゃないが「もしかして、そうじゃないかな」という疑問があり、そこに見事にアピールする「論説」は、ウワサとして流布する。ウワサを流す側の意図は、このスキームの中では反映されない。影響するのは、大衆の側の期待や潜在意識だけである。このお眼鏡に叶ってはじめて、「お話」はウワサとなれる。

インターネットでの中傷も同じである。誰かを貶める文章がどこかに書き込まれたとしても、それが大きなムーブメントになるには、「やっぱりそうか」という「納得性」が必要である。アイツならやりそうだ。アイツならやりかねない。と、誰もが思っていることだからこそ、それが書き込まれると、過剰に反応し、一気に広まることになる。そうでない相手なら、中傷が書かれても、みんな「そんなことはないよ」と思って無視するだけだ。よくあるのは、当人もうしろめたい気持があるところに、それを暴露する書き込みがあること。これなどまさに火に油を注ぐ行為だ。

さて、この手の「大衆の選択」の最たるものといえば、ドイツでのナチスの政権掌握だろう。「大衆の最低水準の層に合わせたプロパガンダ」とはヒトラー自身語っていることだが、それは二重の意味で「合わせる」必要があった。一つには知的レベルという意味であり、アメリカの広告の教科書にある「3歳の子供でもわかるように」というヤツである。もう一つは内容という意味であり、もっとも問題意識の低い層にも共感を呼び起こすような政策やヴィジョンを提示することである。

前者は広く認知されるが、後者はそれこそ「戦争責任」という意味も含めて、敢えて問われることなく封印されてしまっている。それには理由がある。ドイツの大衆も、やはり「甘え・無責任」だったのだ。近代における「個」の確立が不充分なまま、近代産業社会に突入したと言う意味では、日本もドイツも大衆社会の成り立ちには似たところがある。だからこそ、ワイマール体制離脱から、第二次世界大戦の終戦までのプロセスについては、自らの責任を放棄している。

日本は戦争責任が曖昧だが、ドイツは責任を明確にしているという論調もある。国としての責任という意味ではそうかもしれないが、個人一人一人の責任という意味では、どっちもどっちである。要は、ナチス、ヒトラーに戦争責任を押し付け、封印してしまっているに過ぎない。そもそもナチスの政策は、実は、多くの大衆にとっては熱烈に待ち望んでいたものである。その意味で、国民の責任は大きいはずだ。しかし、大衆は、自分の潜在意識に対して無自覚的な故に、その責任を問う気持など生まれようがない。

もちろん、当時のナチス政権は、人権主義者や共産主義者等の「反対者」に対しては、弾圧や強制を行った。しかし、「大衆」に対してそれを行い、力ずくで政策を強制したわけではない。それどころか、実は、ナチスの政策こそが、当時のドイツ大衆の求めるものだったのだ。特別な主義主張があったわけではなく、それをおしつけたワケでもない。ゲルマン的な土俗信仰、大衆レベルの「常識」に則ったホンネの主張だったからこそ、強力な支持を得たし、あれだけのパワーを発揮した。まさに「民主的手続き」によって、大衆の圧倒的支持によって、ナチスが政権を奪取したことがそれを示している。

日本でも、同じことが起っている。昭和10年代に入るとともに、軍国体制に突入していくが、これこそ当時の大衆が熱狂的に求めたものなのだ。当時の流行りコトバでいえば、「無産者」がキーワードである。貧農出身の「青年将校」と、無産政党の「社会大衆党」とが結びつき、「維新」を求めることにおいては一致していた。当時の言葉で言えば、広義国防である。無産者の代表としての軍部と社大党は「維新」を求め、親軍・反資本主義の思想を売りモノにした。それに対し、エスタブリッシュされた有産者の代表としての政友会、民政党の二大政党は、平和を求める、反軍・親資本主義の思想を体現していた。

まさに、「密教徒vs.顕教徒」の構図。そして、2.26事件から日中戦争突入までの1年間は、その最終決戦だったのだ。顕教徒は、「甘え・無責任」の免罪符として、超越した存在としての天皇を必要とした。だから、元来の明治憲法の精神、そして天皇の考えである「立憲君主制」に反対する。その代わりに、天皇制に対しては、いわゆる「紋所」として、それに頼りさえすれば、たちどころに無制限のパワー責任回避ができる、「形式的荘厳」を求めた。2.26事件の叛乱軍のモチベーションと天皇の反応こそが、このズレを如実に示している。

「青年将校」、そして「社会大衆党」の主張は、無産階級、下層大衆をベースとし、その権益擁護拡大のプロパガンダとなっている。入り口は違うが、出口は同じ。これこそが大衆の求めるブレークスルーだったのだ。そうであるが故に、ファシズムは、国家「社会主義」なのである。鉄のカーテンの向こう側が、結局全体主義となってしまったのは、同様に階級をタテマエとして廃棄し、「平等」を実現したからに他ならない。

このように「甘え・無責任」な大衆が待ち望み、居心地のいい社会は、「平等」主義に立つのであれば、「全体主義」以外にあり得ない。さもなくば、社会システムとして、有責任者と無責任者を峻別する仕組みをビルトインした「階級社会」にするしかない。共産主義の崩壊した旧東欧圏で、もとの王族や貴族が宿望され、復活しているのは理由のないことではないのだ。「大衆」が望む社会を実現しようとすれば、彼ら自身が「自己責任」を果たすつもりがない以上、自分が意志決定から遠く、受動的に結果だけを享受できる社会システムとなるのは目に見えている。そうであるなら、彼らを社会的意志決定に参画させるということは、大いなる無駄以外の何者でもないはずだ。


(04/03/19)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


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