財産権






日本の著作権法は、もともと国際条約に基づいて体系づけられたものだけに、基本的には諸外国同様、財産権と人格権の二つの面を持っている。著作権のような権利は、包括して「知的所有権」「無体財産権」と呼ばれる以上、その本質は基本的に財産権にある。ところが、日本では伝統的に、なぜか人格権を必要以上に重視する人が多い。著作権という考えかた自体が、美術・芸術の大衆化とそれを支える複製技術をベースにしている。そして、日本特有の著作物とそのビジネス化の伝統があった。

日本の著作権用語は、その多くを江戸時代の浮世絵業界の用語に負っている。このことからもわかるように、浮世絵業界では、江戸時代に独特の権利関係が成立していた。ある意味では、世界でも最も早い時期に、大衆相手の著作物販売システムを築き上げていたといって良い。その中では、絵師と版元、彫師、刷師といった多くの関係者がかかわり、その中で、それぞれの権利を保有して、自らの分け前を担保する仕組みができあがっていた。その歴史は大切にする必要があるが、いつまでもその時代の発想でビジネスができるわけではない。

そもそも、人格権は名誉ではあっても、実利ではない。人格権を声高に主張する人は、喰いっぷちを作品で稼ぐなと言いたい。著作物が生む「富」が、自分の稼ぎのベースとなっている以上、大切なのは財産権である。商品がそうであるように、著作物にも、高付加価値な作品と、低付加価値な作品がある。高付加価値な作品は、使われれば使われるほど新しい価値を生む。その可能性を自ら封じてしまうことは、作品の生み出す収益で食ってゆくこと自体を否定することにもなる。

周辺権的発想と著作権そのものの発想は異なる。周辺権的な権利しか持ち得ない演奏家にとっては、自分との関わりを担保する意味で人格権的なよりどころは大きいかも知れない。だが原著作権者が、人格権にコダわるのは、自ら、可能性を塞いでいることになる。クリエーターとパフォーマーの違いは、戦略的な視点を持てるか、戦術的な視点だけかというところにある。そして、ビジネスとして新しい可能性を拡げるためには、戦略的視点が重要になるのはいうまでもない。

もともと、職人は戦術的視点しか持ち得ない。腕で食えるのだから、それ以上考える必要がないからだ。しかし日本人には、職人はいても、本当の意味で価値を生み出すアーティストは少ない。それは、音楽界をみれば良くわかる。職人はプレイで金を稼げる。しかしアーティストは著作物で金を生まなくては食っていけない。「金を生むからこそ、著作権を大事にする」こういう発想ができて始めて、ビジネスとしてのアーティストたりうる。「名誉」では食って行けない。著作物が資産となるからこそ大事なのだ。

このため、こと日本においては、著作権侵害の訴訟についても、本末転倒の逆転現象が見られる。概して、作曲家など原著作権者が訴えを起こすのは、人格権の侵害的なものが多く、その一方で、原盤制作会社など周辺権者が訴えを起こすのは、財産権の侵害的なものが多いのだ。このため財産権については、「既得権を保護し、独占的に利用する」スキームを求めることが多く、アメリカのような「取れるところからキチンと取る」ことにはなりにくい。

結果的に、著作物をもっと活用し、そこから得られる収益を極大化する、という視点が欠けてしまうことになる。アメリカなどでは、パクりや盗作があっても、人格権を盾にパクったこと自体をとやかく争うことは少ない。ポイントになるのは、「俺がオリジネーターなんだから、俺にも分け前をよこせ」ということである。結局は、オリジネーターの(c)をつけ、印税の分配に預かれるようにするのが落としどころである。

また、コンテンツの2次利用や、隠れたコンテンツの発掘という面でも、違いが生じている。アメリカでモメるのは、要は「いくら払うのか」という金額ベースの問題である。自分の出演作を再放送してくれるなとか、その曲を使ってくれるな、とか、そういう視点ではない。だからこそ、金の折り合いさえつけば、「幻のフッテージ」が発掘されたりするのだ。だからこそ甚だしきは、観客が隠し撮りした映像や音源を、正規のパッケージの中で使うということも起る。

この著作権に関する意識の乖離が、著作権の活用、ひいては著作物のマルチユースの活性化という面で、大きなギャップを生んでいる。日本のエンターテイメント市場の大きさのワリに、日本のコンテンツビジネスが、今一つテイクオフしないのは、この意識のズレに基づくところが大きい。。クリエータ側が、もっと財産権的視点を持つこと。もっと著作物で儲けようと思うこと。これができて始めて、著作権がビジネスになる。周辺権の側が財産権を主張し、原著作権者が人格権を主張するような状況では、いつまで経っても状況は解決しないのだ。



(04/05/21)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


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