A級戦犯






東京裁判のA級戦犯といえば、その罪状は、戦時体制下でリーダーシップを発揮し、日本を軍国体制に導いた責任を問われているモノである。しかし、良く考えて欲しい。彼らに「責任」を問えるのか。彼らに責任能力があるのか。彼らは、もともと「甘え・無責任」の大衆型メンタリティーしかなく、たまたま「勉強ができた」というだけで幹部候補生となり、年功序列でエラくなってしまっただけだ。彼らの辞書には「責任」の文字はそもそもない。これでは、そもそも責任の取らせようがないではないか。

忘れてはならないことは、戦時体制期の日本は、超無責任型の大衆社会だったことだ。戦後から高度成長期を経て今に続く社会システムの多くは、教育制度や年金制度のように、戦時体制下に確立したことを思い出して欲しい。前にも論じたが、昭和10年代前半は、「民政党・政友会」という2大既成政党をベースにする自由主義、資本主義的な論調と、軍と無産政党が結びついた、当時の言葉でいう「革新」的な論調とがせめぎあった時代である。当時は軍も、財産も家柄もない「庶民」にとって、大きな成り上がりのチャンスとなっていた、まさに大衆が「ファシズム」を求めたのだ。

大日本帝国憲法の第三条は、有名な「天皇は神聖にして侵すべからず」という条文である。これは、「天皇は政治的に責任を持ち得ない」、すなわち「絶対王政」ではなく「立憲君主制」を採用する、という意味である。これは、当時参考にした19世紀ヨーロッパの立憲君主国の憲法には、必ず盛り込まれていた条文である。天皇機関説に代表されるように、この解釈は、明治時代に政治的リーダーシップを取っていた、いわゆる「密教徒」にとっては「常識」であった。しかしそれでは困る「顕教徒」達が意味を捻じ曲げた。

「甘え・無責任」な大衆は、天皇が絶対的な免罪システムたることを求めた。全て、天皇の名を語って行ったことは、個人的に責任を問われることはない。これこそ、究極の「甘え・無責任」構造である。そして、最終的に大衆社会化を背景として、「密教徒」は「顕教徒」の前に数で屈する。それとともに、人格としてのリーダーシップは問われなくなる。たとえば、東条英機がリーダーか、リーダーシップがあるのか考えてみれば、その事実は良くわかる。

彼は、単に陸軍大学校の成績が良かったというだけで偉くなってしまった。人徳や識見が優れていたり、組織を引っ張って行く実力に優れていたわけではない。そもそも陸軍大学校の教育は、真の意味での参謀や将軍、ひいては国のリーダーたりうる人材を育てるためのものではなく、あくまでも現場のリーダー、戦略ではなく戦術として、前線で敵に勝てる人材を育てるモノでしかなかった。百歩譲って、彼はきっと「一兵卒」としては優秀だったかもしれない。しかし、国のリーダーたりうる素養があったとは思えない。

類まれなリーダーシップがあり、それで国を引っ張って行き、その結果道を誤らせたというのなら、責任の追及しようもある。しかし、彼らはそういう存在ではない。大衆のエースであり、ヒーローだったかもしれないが、決してカリスマではなく、どんなに過大評価しても「年功序列で偉くなった秀才」に過ぎない。これでは、人身御供にはできても、責任を取らせることはできない。そういう意味では、日本の大衆社会の特徴を考えるなら、戦争の責任を特定の有力者に帰することなどできないのだ。

もし戦争に対して責任を本当に追求するとするなら、責任を取らせるべき相手は、「甘え・無責任」で現状への不満のはけ口を、戦争や大陸侵略に求めた、当時の言葉でいう無産者、すなわち「大衆」全員である。誰も責任を取らず、有力な地位にあるものすら、責任を取ろうともしない。この究極の「甘え・無責任」体制こそが、日本の道を誤らせた。その意味では、責任上、A級戦犯も、無名の兵卒も、また銃後で「大本営発表」の戦果に酔っていた大衆一人一人も、全く同値であり、その差はつけられない。

A級戦犯のみに特別な責任を求めるのは、大衆の思う壺だ。そもそも戦後の大衆社会の「民主的」な論調においては、戦争責任を軍部や政官の上級者に押し付ける傾向が強いことがそれを示している。そして、最たるものが、「天皇の戦争責任」論である。憲法上の規定が「神聖にして侵すべからざる」存在が、どうして政治上の責任を取れるというのだ。それを取らせるという考えかた自体、いわゆる「顕教徒」の求める、「最高の免罪符システムとしての天皇観」そのものだ。

ということは、アジア各国がしばしば主張する、「靖国神社へのA級戦犯合祀」の問題も、日本社会の構造、実態をキチンと把握していないことになる。日本の戦争責任を問う構造においては、それが大衆により支持され、無言の共犯関係にあった以上、一兵卒もA級戦犯も全く差がないはずだ。問うなら、両者とも有責。問わないなら、両者とも免罪。そのどちらかしかない。この間に線を引くことは無意味だし、それ自体が、真の「戦争責任」を隠蔽し、「臭いものにフタ」をすることに他ならないのだ。



(04/06/04)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


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