鉄道模型に関するマーケティング的考察





ホビーマーケットが、最近とみに注目されている。それも、オジさんをターゲットとする「男のコ向けホビー」のマーケットが特に熱い。もともと、ホビーマーケットは、限られたメーカーとショップが、限られたターゲットに対して展開しているものが多く、いわゆる「マス・マーケティング」とは無縁の世界であった。だからといって、マーケティング的発想と無縁というわけではない。逆に、そういう限られたコアなターゲットにアプローチするマーケティングが、色々な分野で必要とされている時代でもある。

先日、今年のJAMの国際鉄道模型コンベンションを見に行って、思わぬ発見があった。来ている親子連れは、父親と息子のペアが多い。この親の方は、80年代前半の、模型でいえば第一次Nゲージブーム、実物でいえばブルートレインブームの核となった年少ファンだった世代が中心となっている。このところ、鉄道模型の購買力の核となっていたのは、自分も含めて40代SLブーム世代の出戻り層であったが、この間にある、鉄分の薄いいわゆる「スーパーカー・ブーム世代」を挟んで、これはそれとは違うターゲットが生まれてきたといえるだろう。

さて、ここでマーケティング的な発想から、この傾向に分析を加えてみよう。第一次Nゲージブームは、80年代に入ってNゲージの日本型スケールモデルが勢ぞろいし、はじめて鉄道模型に接する年少ファンが、それまでのような入門用とよばれた16番のショーティー・フリースタイルではなく、一気にスケールものからスタートするようになって引き起こされた。その核となった年少ファンは、基本的には70年代前半に生まれた、いわゆる「団塊Jr.」が中心となっている。ここがポイントである。

団塊Jr.は、その親の世代である団塊の世代に次いで、人口が集中しているヴォリュームゾーンである。その前の昭和30年代生まれの層が、極端に人口が少ないのと比べると、5割増ぐらいにはなっており、マーケットとしてのパワーが違う。それゆえ、鉄分の高い少年の存在比率はそう変らなくても、実数は大きく増えることになる。鉄道模型のマーケットは、もともとそれほど大きくないマーケットだ。それが人口比で5割増になってしまえば、大ブームといっても過言ではない。80年代前半の鉄道ホビーの隆盛を支えたのは、このヴォリュームの拡大なのだ。

これが、そもそもの人口は少ないにもかかわらず、鉄道100年ブーム・SLブームという、空前絶後の鉄道ブームの波により、鉄分の高い少年の存在比率が高まった、現在の40代の層とは異なる点である。そう考えて行けば、JAMで見かけた「親子連れ」層を、親子共々取り込むには、今の40代の出戻り層を惹きつける「43・10時代の特定機へのファインなこだわり」とは違った切り口がカギになることもわかる。この層は決して「鉄分が濃い」のではなく、「人口が多いから、マーケットも大きい」のだ。だから、「より一般性を持ったコダわり(これが難しいのだが)」をもった機種を数で売る発想が必要になる。

そういう意味では、国鉄末期からJR初期を代表するような、「一般的な人気機種」が売れ筋になると思われる。もしかすると、すでにPOSを持っているような量販店のデータを見れば、Nのセットもので、そういう傾向が出ているかもしれない。もちろん、この世代にもディープな「鉄ちゃん」はいるので、彼らをターゲットとした「コダわり」の製品も変らず売れるとは思う。しかし、この層ならではのヴォリュームを活かすには、生産計画を見なおし、定番的な機種の在庫切れを防ぐフレキシビリティーを持つことが必要だろう。

こういう視点からみると、そもそも日本の鉄道模型界の成り立ち自体にも、新たな光を投げかけられるだろう。なぜ、昭和30年代には、各百貨店に鉄道模型売り場があり、それも子供関連フロアの華だったほど、存在感があったのか。なぜ、1960年代を通して、日本型16番のマーケットができあがり、確立したのか。これは、まさに先ほどの親子連れの、さらに親の世代たる団塊の世代の存在を抜きにしては考えられない。団塊の世代の圧倒的ヴォリュームが、そもそも日本における鉄道模型市場をテイクオフさせたと考えるコトができる。

団塊の世代は、まだ日本が高度成長の恩恵を受ける前に生まれ、物心ついた世代である。それだけに、都市部と農村部の格差、階層別の格差など、色々な形で世代内の経済格差は相当に大きかった。当時でいえば「Oゲージの入門セット」のような、鉄道模型を買ってもらえる層は、「お坊ちゃん」に限られていた。とはいうものの、全体人数が圧倒的に多いのが団塊の世代だ。この世代の中の「お坊ちゃん」の存在確率は、戦前の経済絶頂期と変らないとしても、その実数は決定的に違う。マーケットは格段に巨大化した。

当時は、今のようなアメリカ的な流通はなく、百貨店といえば、ハイソな生活者のテーマパークのような存在であった。お金持ちは、実際にそこで高級な商品を購入する一方で、庶民はウィンドショッピングでつかの間の贅沢気分に浸る。そういう場所であるからこそ、鉄道模型売り場は、なるべくして子供フロアの華となった。そして、テナントとしてOゲージの入門セットを売りまくったカツミ模型店は、一躍その日本型の基盤を固めた。このようにして、日本に鉄道模型のマーケットが立ちあがったのではないだろうか。

同様に、16番の隆盛もその延長上に捉えることができる。「Oゲージの入門セット」から入ったお坊ちゃんの中で、すっかり鉄分にハマった層は、次により「実感」の高い、16番のスケールモデルに移行する。お坊ちゃんでなかった鉄分の濃い層は、高度経済成長の恩恵を追い風に、比較的廉価でスタート可能な、16番のフリースタイルから参入する。これにより16番のマーケットが立ちあがったことで、その下の世代は、「16番の入門セット」から、模型人生をはじめることになる。

少なくとも60年代は、この好循環が機能していたし、それが経営のベースとしての「輸出部門」の好業績と合間って、日本の鉄道模型のマーケットを築いた。これから読み取るべきことは、ホビーマーケットのような全体の規模が小さい市場においては、ターゲットの存在比率以上に、ターゲットの母数の増大をどう捕まえるかが重要になる。これは、企画力だけでなく、生産力・販売力の問題でもある。そう考えると、今起りつつある変化をキャッチアップできた企業だけが、今後もこのマーケットでビジネスを続けられると判断することもできるだろう。



(04/09/03)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


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