踏切事故の原因






道路上の交通事故の発生場所といえば、およそ常識で判断できるように「交差点」が圧倒的に多い。交通事故のほぼ半分は、交差点がらみの場所で発生している。違う動線を持った者同士が出会う場所であるからこそ、互いにぶつかる可能性も多い。同じように、鉄道事故も、その発生する場所で捉えると、鉄道と、鉄道以外の乗り物が出会う場所、すなわち踏切で起るモノが最も多い。交通安全白書によれば、鉄道事故の49%、ほぼ半分が踏切で起っている。

ちなみに、第2位は飛込や転落といった人身事故であり、これが約40%となっている。両者を併せると、鉄道事故の9割方が、踏切事故か飛込かということになる。さて、踏切事故の件数自体は、踏切事故防止対策の推進、といった運転保安設備の整備・充実や総合的な安全対策の推進をうけて漸減傾向にある。実際、事故件数は、1970年代には年間2000件以上あったものが、いまでは1000件を割るなど、この20年ほどで半減している。さて、この状況をもう少し詳しく見てゆこう。

マニアックになるが、踏切には規定上第1種から第4種まである。第1種とは「自動遮断機が設置されている踏切道又は昼夜を通じて踏切保安係が遮断機を操作している踏切」である。第2種は「1日のうち一定の時間だけ踏切保安係が遮断機を操作している踏切」である。同様に、第3種は「警報機が設置されている踏切」、第4種は「踏切保安係もおらず、遮断機も警報機も設置されていない踏切」となっている。踏切は、基本的にこの4種類のどれかに分類される。

確かに、70年代のSLブームの頃のローカル線は、踏切といえばほとんど第4種であり、駅近くの街中や、国道と交差するところで、せいぜい第3種というのが相場だった。ちなみに、第2種というのは、手動で遮断機を動かしていた時代ならではのものであり、今は存在しない。手動遮断機も、特別な時しか列車の走らない、専用線や引込線にはあるかもしれないが、本線筋では見ることができない。人件費の安かった高度成長期ならではの風物といえよう。

さて現状では、約36000箇所ある踏切のうち、約30000箇所が自動遮断機のついた第1種となっている。これを受けて、踏切事故の原因も大きく変化した。第4種が多かった頃には、列車に気付かず横断しようとし、事故に至ってしまうケースも多かった。また、踏切警手がうっかりして遮断機を閉め忘れ、事故に至るというケースもあった。しかし、今では、そういう事故の起きる可能性のある場所自体がほとんどなくなった。その代わりに踏切事故の主役になったのが、「無理な横断」である。

警報機が鳴り、遮断機が閉まっているのに、無理にこじ開けたりくぐったり、場合によってはクルマで突破して、線路内に侵入することで事故に至る。原因としては、こういう「故意」の事故が、全体の3/4とダントツで多くなっている。だからこそ、鉄道各社はキャンペーンをはり、踏切マナー向上を訴えているのだ。そもそも、警報が鳴り、遮断機が閉まっているのに、無理に渡ろうとして事故を起こす。自業自得といえばそうなのだが、それで列車が遅延すれば、多くのヒトが迷惑することになる。

轢かれて死ぬのは自己責任の範囲においては自由だと思うが、それでまわりに迷惑をかければ、その責任がついてくる。飛込みでも踏切事故でもそうだが、その結果として起った損失に関しては、鉄道会社から損害賠償の請求がくるのが普通だ。飛込みで中央線が遅延し、電車内で缶詰になるなど被害をこうむったことのあるヒトなら、自殺したくなっても、決して中央線には飛び込まないだろう。そういう意味では、こと事故を起こした側の責任が明白なものについては、さしもの「甘え・無責任」天国の日本でも、「100%当人の責任」という意識が定着しているものと考えられる。

さて、イラクである。誰が見ても危険で、公式にも「行くな」とアナウンスされており、廻りの人間からも「行くな」「行くな」と言われていたというのに、それでも敢えて行って殺されたヒトがいる。こと「責任」という意味では、しまっている遮断機を突破して事故を起こしたヒトと何ら変わるところはない。米国のイラクにおける展開については、いろいろ意見や考えかたもあると思うが、それ以前の問題として、結果は100%「自己責任」である。政府としても、踏切事故におけるJRのように、かかったコストを遺族に請求してもいいくらいだ。

この問題に関しては、いまのところ世論もビックリするぐらい理性的だ。政府の責任をどうこうする声はほとんど聞かれない反面、「自己責任で自業自得」と思っているヒトがほとんどなのではないか。流石の「甘え・無責任」な日本の大衆も、逃げ場がない責任は取らざるを得ない、と考えているということだろうか。それだから、相互監視さえ強めれば、日本人も結構マトモな行動をするのだろうけど。まあ、ここまで責任関係がハッキリしている事件もそうはないとは思うが、これは決して悪い話ではないぞ。




(04/11/05)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


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