芸能バブルの崩壊






「エンターテイメントの世界」と聞いて、まず何を思い浮べるか。こと日本においては、華やかでバブリーな「一攫千金の芸能界」を思い浮かべるヒトが多いだろう。音楽や映画の世界は、一般の社会とは桁の違う大金が飛び交う世界。それはそれで、一面の真理でもあるのだが、決して本質ではない。エンターテイメントコンテンツを生み出すアーティストにとってのモチベーションは、そこではないはずだ。それは、感動の共有、自分が感じたものを、みんなにも感じて欲しいと思う気持だ。

そもそも「いい生活がしたいからビッグになりたい」という動機付けでは、ヒトを感動させるようなコンテンツは生まれない。アーティストとは、カスミを食ってもクリエイティブな活動をしたがる人種なのだ。では、ビッグなヒットを求めるモチベーションどこにあるのか。それは、アーティスト自身の内部ではなく、そのアーティストにぶら下がって生活している、数多くのスタッフが喰ってゆくことに求められる。

いつも言っているように、ビッグヒットでなければ収益が出ないわけではない。コンテンツビジネスは原価の弾力性が高いので、それなりのビジネスモデルを構築し、キチンとそれに合わせたコスト管理を行えば、売上の多寡に関わらず利益を生み出すことはできる。たとえばCDでいえば、8000枚を採算分岐点にすることもできるし、3万枚でそこそこ潤沢な収益を上げることもできる。これは、最初の事業計画の立て方の問題に過ぎない。

実は、売上の規模が小さいほどリスクも小さく、かなり確実に収益を上げることができる。その一方で、規模が大きくなればなるほど、ハイリターンであるがハイリスクになり、損失を被る危険性も大きくなる。ライブでいうなら、ライブハウスの公演で黒字を出すことはそれほど難しくないが、アリーナツアーで黒字を出すのは相当に難しいようなものである。にもかかわらず、こういうビジネスは、ほっておくとどんどん規模が大きくなってしまう。

それは、アーティスト本人の思惑とは別に、プロジェクトが動き出すと、とにかくヒトが寄ってきてしまうからだ。ハイリスクではあるものの、この手のメガヒットは、一発あたると莫大なリターンがあることも確かだ。それを目当てに、寄ってタカって、喰いモノにする。そうなると、「かさむコストを回収するために、稼がなくてはならない」ことになり、どんどん採算分岐点が上がってしまう。その結果、純粋に「感動からクリエイトする」ことは難しくなり、「儲けるために創る」という悪循環が始まる。

もちろん、ビッグビジネスが悪いということではない。ちゃんと需要があり、それに対して支出してくれる人がいる以上、そのニーズに応えることは間違ってはいない。それはそれとして、産業として重要なことである。しかし、それが唯一絶対のビジネスモデルになってしまうのはおかしい。そもそもエンターテイメントは、「産業としてしか成り立たないビジネス」ではないからだ。この車の両輪のような関係が、クリエイティブなエネルギーには必要であり、どちらか片方だけになってしまっては、創造性は疲弊してしまうことになる。

ラーメンの例を考えてもらいたい。人気ラーメン店の手作りラーメンとカップラーメンとは、似て非なる別の食べ物である。最近では、カリスマラーメン店のブランドを冠したカップ麺もあるようだが、食べる方は、別物であることをちゃんと理解した上で味わっている。だからこそ、この両者はが並存が可能なのだ。食べる方も、「ラーメン」が食べたいときと「カップラーメン」が食べたいときとで、TPOを使い分けている。

今のエンターテイメント業界は、この垣根をあえてなくしてしまう方向にきているところが問題なのだ。マスプロダクトの「カップラーメン」は、それはそれで立派なビジネスだ。手作りのラーメンばかり高く評価する「自称評論家」になってはいけない。しかし、カップラーメンのビジネスの基準で、手作りラーメンのラーメン店を評価するのもおかしい。売上規模は小さくても、キチンと黒字を出し、店の経営が成り立っているのなら、それはそれで違う尺度から評価すべきである。

そういう意味では、バブルは一度崩壊したほうがいい。徹底して虚構を壊してしまった方がいい。エンターテイメントは、「決して濡れ手に粟では儲からない」ということに一度なったほうがいいのだ。そういう意味では、昨今の市場の衰退は、長期的に見れば悪い話ではない。その上でもう一度、ハイリスク・ハイリターンではなく、ローリターンだがローリスク、というビジネスモデルから再出発すべきなのだ。

このごろ、その業界では、また演歌ビジネスを見なおす人が出てきている。ハデなコンサートをやるではなく、ビッグヒットを狙うではなく、カラオケをバックに「営業」してまわるビジネス。ある程度、客層をつかんでしまえば、エンターテイメント周辺ではこれほど堅い商売は少ない。あるとすれば、マニア向けの、いわゆる「おたく・マーケティング」(決して、「オタク・マーケティング」ではない点に注意)ぐらいだろう。

この手堅さが、一部で評価されているのだ。これはなかなかいい傾向ではないか。「感動を売る商売」は、元来そうでなくてはいけない。市場は小さいが、心をつかめば手堅い。心をつかむことがエンターテイメントの原点とすれば、これこそエンターテイメントビジネスの原点ではないか。「百万人がそこそこ気に入るモノ」が与える感動は、所詮「そこそこ」のモノである。本当に一人の人間の人生を変えるようなモノが、何百万人に共有され得るワケがない。金に目がくらんで、原点を忘れてはならない。


(04/11/12)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


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