おたくとオタク








このところ、「オタク」が商売になるご時世となった。とはいうものの、一般のヒトにとっての「オタク」とは、昨今、それがマスになって以降の存在であり、その「前史」を知るヒトは少ない。いま「オタク」アイテムとされている領域は、すでに70年代半ばから、「おたく」と呼ばれる人たちが開拓してきた分野である。そして、先駆者たる「おたく」と、いま巷に溢れる「オタク」とは似て非なるどころか、当人にとっては「相対立」する概念なのだ。この構図を知らなくては、「オタク」をターゲットとしたマーケティングの問題を理解することはできない。

「おたく」から「オタク」への変化は、90年代半ば以降に起った。Windows95の登場と共に、パソコンは「ワクワクする魔法のハコ」から、なくてはならない実用的な道具になってしまった。エヴァンゲリオンのヒットとともに、アニメは表現者を目指すクリエイターのモノから、金儲けを目指す投資家のモノとなってしまった。これらは、象徴的な変化である。「おたく」になりきれず、かといってまだ時代は「オタク」を認めてはいなかったとき、居場所を失った青年が起こしたのが、「宮崎勤事件」である。

この決定的な相違は、「オタク」は単に消費者だが、「おたく」は創るヒトという点にある。「おたく」の特徴は、趣味にしろ文化にしろ「クリエーターと消費者が同じ次元で存在する」ところにある。「おたく」においては、純粋消費者というものは存在し得ない。程度問題ではあるが、全ての「おたく」は、観客ではなくプレイヤーという自己規定を持っている。「おたく」文化においては、対象となる領域自体も、自身でクリエイトするものなのだ。これが、純粋に与えられたもの消費するだけの「オタク」とは決定的に異なる。

実は「おたく」は、「オタク」が大嫌いである。その商業主義的な臭いを嗅ぎ取り、バカにしている。「おたく」は、自らがクリエイターと規定するがゆえに、外側から与えられたものをコレクションするだけの人たちを軽蔑している。そもそも、そういう「アンチ・マス」の構図自体が、オルタナティブ・カルチャーとしての「おたく」を成り立たせてきた。自分たちは、一般大衆とは違う価値観を持っている。そしてそれをカタチとして具現化するだけの「才能」も持っている。これが「おたく」の誇りを生み出している。

そういう意味では、「コミケ」こそ「おたく」の原点だ。コミケ自体は、今でもますます拡大しながら続いている。しかしもともとは、昨今のように、同人誌を「買いに行く」ところではなかった。あくまでも同人誌を「売りに行く」ところだった。まさに第一義的には、「自分の作品を発表する場」であった。そのついでに「他人の作品も買う」という行為が行われていた。ある種、レベルはさておき、全国津々浦々の高校球児とそのOBが、甲子園を支えているように、有象無象の「自称マンガ家」たちが、コミケを支えていたのだ。

この構造は、あらゆる分野で見られる。パソコン用が中心だった時代のゲームソフトもその一つだ。ゲーマーは同時にプログラマでもあった。そういう時代ならではの「ヒット」として、「ゲーム自体はクソゲーだが、プロテクトが複雑なのでウケたソフト」などというのもある。そのプロテクトを外す方が、ゲーム以上に面白く、「ヒット」してしまったのだ。当時のソフト業界では、自身は技術者でもプログラマでもなく、単に経営者でしかないソフトバンクの孫正義氏の評判は悪く、その一方でプログラマ出身のアスキー西和彦氏の人気が高かったのも、この「法則」にもとづいている。

さらには、模型界でも同じ構造が成り立っている。鉄道模型でも、航空模型でも、船舶模型でも、モデラーであるためには、なによりもまず「作るヒト」であること求める気風が、なぜか日本の斯界には満ちている。クラフツマンが尊重され、スクラッチビルド、とまではいわれないにしろ、高度なテクニックを必要とする難易度の高いキットを組み立てられないようでは、仲間にいれてもらえない。場合によっては、既製品を集めるだけの「コレクター」は、別人種でありモデラーではないとさえされている。この「コレクター蔑視」は、日本の趣味界では随所で見られる。

ヴィンテージ・ギターやヴィンテージ・カメラといった、欧米では純粋コレクターがその市場の中心になっている分野でも、日本では「おたく」的傾向が強い。ギターコレクターの仲間内でも、実際にギターがウマいヒトの方が、集めるだけのヒトよりも高く評価されがちだ。カメラマニアの中でも、往年の銘器でいい写真を実際に撮れる、カメラマンとしての腕のあるヒトのほうが、そうでないヒトよりも羽振りがよかったりする。日本では「往年の名レンズがつかえる、最新型のボディー」が出てしまうというのも、このあたりの状況を反映している。

秋葉原が「萌えの百貨店」となり、食玩の大人買いがアタりまえのように行われる。こういうカルチャーは、純粋消費者としての「オタク」があってはじめて成り立つ。「おたく」ではなく「オタク」の登場と共に、「コダわり市場」は活性化し、巨大化した。もちろん今でも「おたく」な人たちは、元祖おたく世代である40代、30代を中心に存在し続けてはいる。しかし、圧倒的な「オタク」の数の前に、少数派に転落してしまった。いまや「otaku」といえば、「おたく」ではなく、「オタク」のコトになってしまった。

「オタク」の商業主義的なパワーの前には、基本的に「手作り」を尊重する「おたく」はモノの数ではない。ましてや、市場においてはほとんど存在感を持ち得ない。かくして、「おたく・マーケティング」は、極めて限られたホビーなどの世界だけで細々と続いているものになった。その代わり現れてきたのは、「オタク」をターゲットした、マス・マーケティングの一種としての「オタク・マーケティング」である。

ここで一つ重大な問題が引き起こされた。「オタク」のコレクションの対象も、もとをたどれば「おたく」文化から生まれてきたものである。そしてそのクリエイティブなエネルギー自体が、「創るヒト=消費者」という「おたく」文化独自の構図の中から生まれていた。たとえばコスプレも、元々衣装や小道具自体を作るところからはじめ、着こなしだけでなく、その「創るプロセス」自体も含めて、楽しんだり、評価したりするモノであった。市販品の登場とともに、そのクリエイティブなエネルギーは失われてしまった。

90年代末以降、アニメもゲームも、ビッグビジネスにはなるものの、活力を失ってしまった理由の一つがここにある。大資本を投入し、マスプロを目的としてシステマティックに造られる「作品」では、才能のある人たちに対し「クリエータになりたい」というモチベーションを与えることはできない。今勃興している「オタク」市場の隆盛は、化石燃料のごとく、かつての「おたく」文化の遺産を食いつぶしているだけのことである。今はそれなりに、リファレンスとすべき過去の「おたく」の成果があるものの、新たな創造性が注入されなくなってしまっては、先は見えてしまう。

今隆盛を極めているかに見える「オタク・マーケティング」の領域も、新たなクリエイティブエネルギーの投入がなければ、早晩、ぺんぺん草も生えない「荒地」になってしまう。ここで着目すべきは、アニメやゲームに比して、相対的にコミックスがまだ活力を残している点だろう。その裏には、ペンと紙があれば創造できてしまう、というコミックス独自の構造的な特徴がある。クリエイティブな意識と表現欲さえあれば、参入しやすいからこそ、活力を持っているのだ。クリエイターが意欲をもってチャレンジしやすい環境さえあれば、クリエイティブなエネルギーが枯渇することはない。

デジタル化で、DTP、DTM等、かつては膨大なコストとマンパワーを必要としたポストプロの分野も、一人で、机上のパソコンでできるようになった。それと共に、新たな「自主製作」の領域が生まれた。今や、パソコンでクリエイトできる領域は、映像の分野にまで広がった。コミケで自主製作CDや、ゲームソフトが販売されたように、デジタルで自作した「アニメ」が登場する日は近い。その時こそ、消費するだけの「オタク」ではなく「おたく」文化が復活し、「ジャパニメーション」に新たな活力が加えられるのではないだろうか。




(04/12/10)

(c)2004 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる