2005年の視点





今年、2005年に何が起るかを考えるには、色々な意味で「分岐点」になる年、という視点が重要だ。20世紀から21世紀へ、徐々に起りつつあった変化が熟成し、この数年地下のマグマの動きのように、「わかるヒトにはわかる」状態だったモノが、気をつけてさえいれば、誰の目にも見えるように顕在化する。これに気付いてウマく変化をつかめば、チャンスをつかめる。しかし、この兆候を見過ごしてしまうとバスに乗り遅れてしまう。こういう一年になるのではないか。

その場合、日本社会における最も重要な変化は、階層化の顕在化ということになるだろう。これからは、政治も経済も、平等を前提にした過去の常識は通用せず、階層化、階級化を前提に考えなくてはならない。「幻想の悪平等」はもはや存在しない。これを是認して先取りできれば、そこには成功の花道が待っている。これを否定したり、見て見ぬ振りをしている限りは、時代から取り残されてしまう。だからこそ分岐点なのだ。

さて、グローバル化の進展と共に、変化がまずあらわれるのは経済の領域、というのが常識となってきた。利益や効率で経済指標を捉える視点が一般化すると、ベキ論や理想論は意味を持たない。パフォーマンスが上がらないのでは、いくらスジ論を振りかざしても、自滅が待っているだけだからだ。逆にいえば、「社会の道理」がいちばんストレートに反映される分野が経済活動ということになる。このような「階層化の是認」は、経済活動の中でも、マーケティングの領域から広まるであろう。

金を持った不特定多数は、もはやいない。まず、この事実を押さえておく必要がある。高付加価値経営をするためには、不特定多数の「豊かな財布」を前提とする、「売上主義」「シェア主義」では無理なことは、すでに理屈ではわかっているヒトも多いだろう。では、それを実現する手法はどういうものか。それは、ピンポイント攻撃である。グローバルスタンダードでは、「ヒット」とは、利益や効率の極大化を実現することだ。だとするならば、ヒットを当てるには、金を持った特定少数にピンポイントでアタックする必要がある。

今年のヒット商品では、こういう階層化を利用した「ピンポイント攻撃」の成功事例がはっきりするだろう。こういうヒットが顕著になることで、当てる王道として不特定多数ではなく、「階層化により生じたアッパークラスを狙う」ことが常道化する。少なくともマーケティングにおいては、わかるヒトの間での常識となるだろう。それとともに、すでに確立している階層化もまた、社会的タブーではなく社会の常識となる。

さて、今年は「団塊の世代」が再び話題になっている。すでに2007年問題といわれ、新年以来、マスコミの特集でも喧しい。しかし、団塊ターゲットで当てるカギこそ、このピンポイント攻撃にある。団塊の世代というと、均質で強い求心力を持つ「マス・マーケティングの落し子」のように思われがちだが、実は彼ら・彼女らとて人間。「平均的な団塊」など、どこにもいない。成功のためには、この差を見ぬき、よりビジネスターゲットとして適切な人々を切り分けることが必要なのだ。

定年・リタイアを迎える団塊の世代。その中でも、都市部出身、比較的高学歴で、親の代から家があった、あるいは土地があったヒトと、ローンと子供の教育に追われていたヒトでは、年々のキャッシュフローの構造は大きく違っていた。さすがにローンそのものは、ほとんどのヒトが返済していると思うが、持ち家以外の現金性資産をどれだけ持っているかどうかによって、ノーリスクで動かせるお金の嵩は今でも大きく違う。今まで均一に見えたのは、意識的に「見せてきたから」こそなのだ。実は、その裏にある「差」に気付くところがポイントになる。

この現象は、持ち家以外の資産を持つ側が、いままでは廻りの眼を気にして、その購買力の差をまざまざと見せつけることは遠慮してきたことにより引き起こされてきた。しかし、ここまで差が開いてしまうと、もはや遠慮もいらない。さらに、リタイアしてしまえば、「貰っている給料は同じだから」という、幻想の悪平等を支えていた「タテマエ」にとらわれる必要もなくなる。もっというと、金は棺桶には持って行けないのだから、死ぬまでの間に使わなくては意味がないし、老後になれば、そのロードマップも具体的なものに感じられるはずだからだ。

団塊の世代における資産家の存在確率は、その比率でいえば他の世代と大差ないと考えられる。しかし、全体のパイが大きいだけに、絶対数では圧倒的な存在感がある。だから、そこだけを狙っても、充分にビジネスになる。だからこそ、「老後の団塊」を狙うには、「広く・浅く」ではなく、持ち家以外の現金性資産を持つ層を狙い撃ちにして攻める意味があるのだ。これにより、マーケティング・ターゲットとしてもてはやされる「持てるヒト」と、その他大勢として扱われる「持たざるヒト」が明確に分離する。

それだけではない、いままで横並びが身についてきた分、資産を持っている層も、持っていない層も、ベーシックな生活に必要なコストはそうは変らない。ここがクセモノだ。いわば「拡大エンゲル係数」とでもいおうか。ベーシックな生活費が年間の消費額全体に占める割合は、資産家とそうでない層とで、大きく異なることになる。高付加価値経営をしたければ、この「拡大エンゲル係数」の低い層を集中的に狙うことが望ましいということになる。

しかし、「持てるヒト」を狙うことは一筋縄では行かない。自分の価値軸を明確に持っているヒトが多いからだ。その分、商品やサービスを提供する側も、他にできない、高質で付加価値の高く、オリジナリティーに溢れた商品やサービスを提供する必要がある。だがそれができれば、彼ら・彼女らは、その「差」を確実に評価し支出する。価格競争から脱し、高付加価値経営を確立する、とはよく言われるお題目だが、それを実現するには、このようなピンポイント攻撃の成否が問われるのだ。

この期に及んで、ひとくくりの巨大で均質なクラスターとしてしか「人々」を捉えられないのようでは、「負け組」以外の何物でもない。ビジネスの相手になる層と、ならない層をキチンと峻別し、限界効率を超えたコストをかけない。シェアや売上に眼がくらんで、利益の分岐点を越えてまで成長を狙わない。まさに勝ち組の方程式とは、一番オイシイ相手とだけ商売をするところにある。そのためのキーワードこそ、階層化なのだ。


(05/01/14)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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