官業の矛盾






高級官僚たちのやることといえば、その代表的なものとして、天下りの利権作り、公共事業や許認可権を傘に着た利益誘導、派閥抗争といったモノが上げられる。これらの特徴としては、本来的な目的がなく、その分「手段が目的化」していることが上げられる。そもそも高級官僚自体、自分たちの存在自体に目的性がなく、「いるためにいる」存在である。だからこそ、手段の目的化は必然ともいえる。税金の無駄遣いと言う意味では言語道断だ。しかし、一般民間人に影響がない範囲であれば、ヤクザ同士の抗争と同じ。それ自体が「悪」だが、右肩上がりで経済が動いている間は「勝手にやれ」ということになる。

だがその業務に、本来の目的があると、さらに始末が悪いことになる。官が事業を行う。今話題のNHKの不祥事や、民営化でゆれる郵政事業の問題点はここにある。本来、合目的的に行われなくてはならない業務の中に、官僚体質が本来持っている手段の目的化がビルトインされてしまうからだ。これは、役人がやる事業に共通する問題といえる。「官業」がなせ問題になるのか、その本質はここにある。旧国鉄や電電が、民営化により生まれ変われたのは、まさに民営化自体が目的なのではなく、「官業」の持っている、非合目的的な要素を排除できたことによる。その意味で、民営化もまた手段であり、目的ではない。

名著「失敗の本質」以来、数々の分析がなされてきた、旧帝国陸海軍の構造的問題もここに根ざしている。古今東西、平時においては、軍隊は官僚組織になってしまうのは仕方がない。しかし、官僚組織では戦争には勝てないというのも、また歴史の常識だ。「戦争に勝つ」という目的のために、最適な手段をとれる組織になって始めて、有事の軍隊は機能する。しかし旧日本軍は、戦時体制になっても「手段の目的化」という官僚組織の体質を払拭することができなかった。

エリート官僚たる士官の多くにとっては、官僚同様、自分たちが属する「組織」の維持・拡大が最大の目標だった。けっしてその目標は、戦争に勝つことではなかった。これでは、本来勝てる戦争にさえ勝てるワケがない。おまけに、士官たちのマインドがそこにあったのでは、命を賭けて闘った兵士が浮ばれない。どんどんモラルダウンし、略奪や強姦もするだろう。キャリアが天下りゲームのことしか考えない分、現場のノンキャリアが、自分たちの利権や権限の拡大しか考えなくなるのと同じだ。

これは、なにも公的な組織の専売特許ではない。民間企業でも、こういう官僚的な「手段の目的化」はしばしば見られる。実は、不祥事を起こす企業に共通する「内向きの体質」も、この「手段の目的化」から生まれている。寄らば大樹の陰、とばかりに、「組織にすがって楽をしよう」という「甘え・無責任」な人々が跋扈する組織では、良く起る現象だ。発想のルーツがそこにあるからこそ、彼らは、そもそも競争力を持たないし、市場原理に基づく競争に耐えない。それゆえ、社会主義的な悪平等を求め、分不相応な実入りを得ようとする。

しかし「神の見えざる手」が仕切る、市場競争が徹底しているマーケットは許さない。そこでは、不祥事を起こすような体質をもつ「問題企業」の製品は、ダンピングによる価格競争以外に売るための方策はない。それは、ディスクローズの徹底したクリーンな企業の製品と比べると、どこか二流感、パチモン感がつきまとうからだ。そもそも、官業体質の企業では、顧客の心に訴えるクォリティーのある製品やサービスは作れない。

官業体質のサービス業の権化と言えば、末期の旧国鉄がその最たるものだろう。旧国鉄末期には、たびかさなる値上げとスト、新幹線等で連発する故障や遅延と、その余りのサービスの質の悪さに、大規模な「国鉄離れ」が起ったことは、当時を知っているものにとっては鮮烈な記憶だ。同様に、NHKの番組はどことなく杓子定規で時流に合わないものも多く、どこか面白くないと皆思う。大事な荷物は、遅配や紛失の多い「ゆうパック」では送りたくないと思う。

そうであるなら、打つ手は簡単だ。兵量攻めにしてしまえばいい。消費者が買わなければいいだけだ。そのためには、マーケットの見えざる手に任せればいい。官業打破には、なにも抵抗勢力をねじ伏せても「民営化」を図る必要はない。市場原理さえ貫徹すれば、官業に居場所はなくなる。官業から生まれる質の悪い製品やサービスは、みんなが飢えていた高度成長期なら顧客をゴマかせても、いまのマーケットはゴマかせないからだ。いつまでも、それで済む思っているほうが間違いだ。そんな甘えはもう通用しない。





(05/02/11)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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