名と実






日本においては、近代化が進むと共に、「大義名分」が軽視される傾向が強い。しかし、儒教の影響が強い東アジア諸国においては、「大義名分」は今でも極めて重要な価値を持っている。これが、日本とアジア諸国との問題を考える際に、大きな問題を引き起こしている。「名」と「実」は、それぞれ異なる価値を持ち、どちらも極めて重要なものである。だからこそ、「名」をとる側も「実」をとる側も、それぞれ納得して共存することも可能になる。

この太極の思想のような両面性こそが、東アジアの儒教文化圏の安定原理の一つとなってきた。しかし日本では、近代化とともに、欧米的な「名誉と実利の混同」が甚だしくなった。価値観はひとつとなり、「どちらが取るか」という二項対立でしか、モノが考えられなくなってきた。「実」しか認めないヨーロッパ文明は、結果として「実」を取り合うことでしか解決を図れない。そこには、血で血をあらう対立が待っているだけだ。

「実」だけでなく、「名」にも高い価値を認め、「名」と「実」を分け合うことで、対立を昇華する。これこそ、東アジアの知恵なのだ。「名」を重視し、それを尊重することで、ガチンコになりそうな深刻な対立も、ウマく解決してきた。これが儒教文明の持つ深さであり、その平和性の明かしでもある。ここで大事なのは、率先して「名」を遠慮し相手に譲れば、おのずと「実」が回ってくる点である。

さて、この「名」と「実」が「長幼の序」と組み合わさることで生まれたのが、よい意味の、元来の年功制である。すでに功をなし名を遂げた「年寄」は名誉を取り、「若者」は実利を取る。こういう役割分担をすれば、おのずと問題解決の道筋ができる。もともと年功制とはこういうモノなのだ。それが、正反対の「年功給」になってしまうというのも、近代日本で、いかに「名」が軽視され、「実」ばかりになってしまっているかの象徴ともいえるだろう。

さて東アジアでは、一つの国の中でもこの構造が生きている。士大夫、両班といった、有責任階級は、まず「名」をとらなくてはいけない。タテマエとしては、率先して「実」に走ってはいけない(ことになっている)。その分、下々の一般庶民は優先的に「実」をとることができる。もっとも、一旦「実」が庶民に分配された後、その一部が「名」をとった人々の方へフィードバックされることもしばしば行われていたが、これはあくまでも実務的な生活の知恵でしかない。

そういう意味では、「名」を重視するためには、貴族というか、ノブリス・オブリジェを果たすような有責任階級が存在すること、あるいは、そういう生き方を気高いものとして重視し、尊重する価値観が必要になる。そう考えると日本において、20世紀に入ってからの急速な大衆社会化・無責任階級の台頭とともに、「名」が有名無実化し、「実」だけを追う社会となってしまった理由がよくわかる。

これが、国と国の間で行われるのが、朝貢貿易である。朝貢貿易は、皇帝にとっては、こと「貿易」という経済効果からみれば、大いなる「持ち出し」である。入貢国の方が「実」は多い。この「対価」が欲しいからこそ、入貢国はひたすら皇帝にゴマをする。しかし、これにより皇帝には「名」が与えられ、国際秩序を仕切る存在としてのプレゼンスが保証される。皇帝の側からすれば、この「名」を、多額の財宝を与えることで、買い取っているものということもできる。

日本でも、まがりなりに儒教精神がバックボーンとなっていた江戸時代の武士階級までは、これに似た構図があった。「武士は食わねど高楊枝」ではないが、有責任階級としての武士は、権利を主張する前に義務を果たし、「実利」を追うより「名誉」を追わなくてはならない存在とされていた。もちろん、庶民はそんなことはお構いなく「実利」にしか価値を見出さなかったが、支配階級が「名誉の価値」を重視していれば、おのずと「名誉」に価値を見出す社会になる。

さて、今の日本が「実」を追うことにしか価値を認めない国だからこそ、東アジアの国際問題を考えるときには、「大いなる落としどころ」を見出すことができる。儒教文化圏の国際交流の原点に戻って、名と実を分け合うことを考えればいい。もともと日本が欲しいのは「実」だけである。そして、相手は「名」にも高い価値を見出してくれる。いかに相手に「名」をとらせ、いかに自分が「実」をとるか。これこそが、最も平和的な解決策である。

これはそんなに難しいことではない。いわば「ヨイショ営業」である。相手を立てればいい。そう考えれば、「名誉」に価値を見出せない日本人にもできないことではない。相手に「名誉」を与え、持ち上げれば、おのずと「実利」は自分のほうに廻ってくる。この古典的事実を思い出して、それにのっとることが、こと東アジアの国際関係を安定させるためにはもっとも効果的だ。そのためには、「名」と「実」を分け合うことが大事なのだ。、東アジアで2千年以上に渡って続いてきた「極意」は、決して伊達ではない。



(05/04/29)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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