東アジアの「連帯」






20世紀も末になると、全世界的な経済のグローバル化をうけて、東アジアでもグローバル化の進展が顕著に見られるようになった。この現象は、まず経済の面から始まった。しかし、東アジア発のグローバル企業が増加し、ITや自動車などの領域で、世界の製造拠点として押しも押されもしない地位を確立すると共に、この地域の社会や人間のあり方についても、グローバル化の波が押し寄せるようになった。

これはなにも、外国語が上手だったり、欧米人に伍して物怖じしない交渉ができたり、という表面的な問題ではない。もっと、人間性自体がグローバルに通用する人材が増えてきたということである。かつては、東アジアの大衆といえば、この地域特有の共同体の中に埋没して、楽に生活しようというヒト、すなわち「甘え・無責任」な人々ばかりだった。しかしその中からも、「自立・自己責任」に行動しようというヒトが現れ、グローバルに活躍し評価されるようになった。

これは、社会の価値観に大きく影響を与える。もはや、アプリオリに悪平等ではいられない。そもそも大衆とは、洋の東西を問わず「甘え・無責任」なモノではあるが、こと儒教の影響を受けた文化圏においては、「儒教的ノブリスオブリジェ」を尊ぶ有責任階級が存在することにより、一般庶民は極めて無責任な立場でいられたという構造的特徴がある。その分、一般に歴史といえば有責任階級だけが登場し、庶民の生活が語られることがあまりないのもこれが理由である。

しかしこと日本においては、すでに近世においてそういう庶民がベースとなった社会・文化が造られていた。その分、「甘え・無責任」な社会という面では、かなり先行していたといえるだろう。しかし、どの国においても、経済発展と共に大衆が経済力を持ち、大衆社会化が進む。そこで生まれたのは、「アジア的大衆社会」とでもいえるような、極めて「甘え・無責任」悪平等的な大衆社会である。

もしかすると中国において、50〜60年代の社会主義的な計画経済が受け入れられたのも、社会主義的な政策には、必然的に「悪平等的大衆性」が伴っていたからかもしれない。さて、各国とも急速な経済成長を経験した点も共通している。高度成長と共に、甘える対象、寄るべき大樹も、より太く多様化し増大した。それは、「アジア的大衆社会」をより高度なものへと熟成した。しかし、昨今の社会や人間のグローバル化とともに、この構造は大きく変らざるを得ない。グローバル化とは、悪平等的なオイシイ居場所がなくなることでもあるのだ。

一方、民主化の進展とともに、大衆出身者も責任あるポジションにつかされる機会が増大した。だが、大衆出身者はその「甘え・無責任」なメンタリティーをキープしたまま、そのポジションにつく。いつも語っているように、日本企業の不祥事などは、この典型的な例である。そこまで行かなくても、ある種の責任を取る必要性を求められていることに対し、ウサばらしというか代償行為を求める意識は、全体として強くならざるを得ない。その一つのはけ口となっているのが、「甘え・無責任」なナショナリズムである。

それは「国家」「民族」に責任を押しつけることで、自分の無責任を担保したいがための主張である。主義・主張のあるナショナリズムではない。責任を押しつける対象さえあれば、それがなにでも構わない。だからこそ、反日を叫ぶ人たちも、拉致反対を叫ぶ人たちも、それが自分自身の責任においてなにかするというのではなく、自分の外側にある「責任主体」に責任を押し付けようとする行為である限りにおいて、同じ穴のムジナである。

この構造が共通なら、ここで東アジア全体を通した、新しい連携の構図が浮びあがる。「自立・自己責任」なヒトは「自立・自己責任」なヒト同士。「甘え・無責任」なヒトは「甘え・無責任」なヒト同士。それぞれ、国境を越えて利害を同じくし、手を取り合えばいいのだ。そういう意味では、寄って立つ生き方が同じなら、求めるベクトルの方向は似ている。意外に気が合うかもしれない。

近代国家という意味での、「各々の国」という枠を取り払ってしまい、「東アジアvs,それ以外の世界」という構図が作れれば、密教徒は密教徒で、顕教徒は顕教徒で、それぞれ同じ方向を向く可能性が高い。昨今起っている色々な現象の裏側には、こういう新しい流れが起こりつつあるように見える。もしかすると、2002年ワールドカップの盛りあがりや、日韓共催の大成功というのが、その可能性を示す嚆矢だったもしれない。その評価は、20年後、あるいは50年後に決るのであろうが。


(05/05/06)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる