企業価値経営





株式マーケットには、2つの異質な人たちがいる。一つは、ある種の理知的な判断に基づいて投資行動をするヒト、もう一つは、極めて情緒的な判断に基づいて投資行動をするヒト。張るか張らないかという最終判断自体は、ある種理性を伴うので、ちょっと見ると、この違いはカモフラージュされてしまいがちだ。だが、その判断をする「拠り所」をどこに求めているか、という視点に立てば、この両者は大きく違う。

前者の代表が、機関投資家だろう。機関投資家の視点は、投資した資金が安定かつ安全に保全されると共に、成長の成果も充分に享受して拡大することを求める。本当に事業そのもので収益が成長するか、慎重に予測し、判断を行う。だからこそ、適切なディスクロージャーを求め、戦略を確実に遂行しうる強力なガバナンスを求める。それだけでなく、最近では社会的・文化的貢献な付加価値を生み出す可能性があるかといった面からも検討を加え、将来の成果を予測するコトも行われている。

個人投資家でも、本当の資産家は、自分の家計でもB/SとP/Lを分けて考えているので、投資資金の運用先については、機関投資家に似た判断基準を持つ。だが、そういうヒトは絶対数が少ない。株式市場で取引する個人投資家の多くは、「資産家」ではなく「成金」の投資と考えた方がいい。彼らはB/S視点ではなく、P/L視点での利益確保を行動原理としている。こういう人たちは、事業そのものを評価し予測するような、視点は持たない。というより、そもそも持つ必要がない。

はっきり言ってしまうと、それ以上に重要なのは、儲かる「イメージ」かどうかである。イメージさえ儲かりそうなら、その企業が本当に儲かるかどうかも問題にはならない。そういう典型例として、「証券業界ならではのお約束」というのがある。「インフルエンザが流行れば、体温計や点滴用具のメーカーは買い」とか、「有名スターの結婚式があると、ウェディング関連業界は買い」とかいうヤツだ。

それぞれ「理屈」はついているのだが、基本的にはこじつけた「屁理屈」である。そうであっても、みんながそういう行動をすれば、それなりに買いが集中し、株価は上がる。順張りというか、みんながそういう行動をするなら、ひとまずそれに乗っておいたほうが損はない、という以上の「理屈」ではない。金が動くことが大事なのであり、その「理由」に正当性があるかどうかは、儲けるためには必要ない問題なのだ。

ゲームのルールは、そのゲームがより面白くて白熱するようにできていれば良いワケで、社会的かつ客観的な正当性を元にする必要などそもそもない。野球に塁が3つあり、アウト3つでチェンジというのも、長い歴史の中で、経験的に一番展開が面白くなるよう工夫された結果であり、それ以上の根拠はない。ゲームのルールとはそういうものだ。「証券業界ならではのお約束」も、そういうゲームのルールと考えれば理解しやすいだろう。

だから昔から、「風が吹けば桶屋がもうがる」式のこじつけが重用される。みんなが買いに走るかどうかがポイントなのだ。買いに走れば、値は上がる。値が上がれば、それで利ざやは確定できる。あとは、損しないぎりぎりのタイミングまで引っ張って、売り逃げるだけ。いわば、チキンレースのようなものだ。最後に誰か、売りのタイミングを失するヤツが出てくる。その売りそこなったヤツだけが、貧乏クジを引く。こういうゲームである。

昨今の株式市場の活況を支える「デイ・トレーダー」の多くは、元証券業界のインサイダーが多いという。そうであればこそ、「証券業界ならではのお約束」にどう乗り、どう裏切るかというのが、ゲームの基本になる。これはこれで、スリリングで面白いゲームだろう。どっちがいい悪いではない。楽しみ方が違うのだ。一攫千金を狙うヒトも、馬の眼がカワいいから好きというヒトも、どっちも競馬が楽しめるようなものだ。

しかし、困ったことが一つある。こういうヒトに買われ出すと、株価の上限値というのがなくなる。厳密には「なくなる」ワケではないのだが、理論的に導き出される適正な上限値を超えてしまえば、どこまで行きつくかは、チキンレースをしている参加者の気分次第、ということである。これは、その会社の経営者からすると由々しきことになる。いかに経営努力をしても、事業そのものが生み出す企業の価値は、「理論的な上限値」を超えることはできない。だからこそ「理論的な上限値」なのだ。

その一方で、時価総額という企業価値はバブル的に増大する。こうなると、インフラになってしまった株価を正当化するために経営を行うという、本末転倒な事態になる。それも、マトモに事業をやっていたのでは、どんなに業容を拡大しても追いつかない。こうなると、その経営者自身も、企業そのものをファンド化し、自らマネーゲームを仕掛けなくてはならない状態になる。まさに昨今、市場で人気ある一部のIT銘柄はこの状況に陥っている。

こういう構図の中にハマっている以上、そもそも業務ベース、事業ベースで考えても仕方がない。金は、より効率のよい運用先に流れる。マネーゲームで集まった金は、それが集中することで、いわば「メタ・マネーゲーム」を引き起こすのが必然なのだ。もっとも、こういう構図が生まれる裏に、二種類の投資家が存在する以上、自分たちがどっちのゲームに参加したいのか、企業経営者自体もそれを自覚していればそれでいい。問題なのは、そういう構造の違いに無頓着な能天気さだけなのだ。


(05/06/10)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる