海外駐在員は農村共同体の夢を見たか






団塊の世代が社会人として活躍をはじめた、60年代末から70年代はじめの時代。この時代においては、輸出が日本経済のドライバーであり、海外で活躍することが、ビジネスマンとしての、一つの到達点だった。それは大きな成果を生み、「ジャパン・アズ・No1」と賞賛される一方、激しい「貿易摩擦」も生み出した。団塊の世代は、このように海外駐在員がビジネスの花形だった時代に、会社員となり、商社、メーカーなどで、海外の第一線で活躍したのだ。

さてこの時代、海外においては「日本人は日本人だけで集団を作り、現地に溶け込まない」という批判があった。今でも、そういう論調はしばしば聞かれる。しかし今では、中には日本人のアウトローもいるぐらい、海外在住の日本人の絶対数が多くなった。したがって、全ての日本人が、全て群れたがる、とは言いきれなくなっている。それはさておき、海外進出の初期においては、確かにその傾向は強かった。

しかし、これは果たして批判すべきモノなのだろうか。ちょっと考えてみよう。一流企業に勤めて、海外駐在員を目指した層は、大学進学率が一割台だった「団塊の世代」の中では、超偏差値エリートだった。その面では、「集団就職世代」だった、団塊の世代のマジョリティーとは違う特性を持っている。だが地方出身で、農村共同体的メンタリティーを強く擦り込まれている、という点は、エリートたる「全共闘世代」も、ブルーカラーの「集団就職世代」も、全く共通だった。

これが、それ以前のエリート層と大きく違うところである。戦後の「民主化」により、出身階層に関わらず、偏差値さえ高ければ「出世」できるという「大衆化」は、一層進んだ。農村部出身で、故郷を「捨てて」都会で一旗あげようと出てきた彼らは、都会に出てくるのも、海外に出て行くのも同じである。かくして、団塊ビジネスマンは、何のコダわりもなく、海外赴任をめざした。このあたりが、それ以降の若い層と異なる点である。

ホワイトカラーであり、エリートではあるものの、その潜在意識を規定しているものが、農村共同体的価値観である、という点においては、ニュータウンに集う「集団就職組」となんら変わりはない。ここに、海外駐在員の行動様式を解くカギがある。彼らは、リアルな共同体こそ一度は捨てたものの、実際に生活して行く上では、共同体はなくてはならないモノである。それは、彼らが共同体を前提にした生き方しか、リファレンスを持っていないからだ。

このため、彼らは「理想の共同体」を再構築したがることになる。日本国内においては、それは、日本企業の「擬似共同体」化であり、パラサイト・シングルを生んだ団塊的な家族形態であり、ニュータウンにおけるコミュニティーづくりである。このモチベーションが生み出した一つの究極の形態が、「海外駐在員の日本人社会」である。海外駐在員のコミュニティーとは、故郷から切り離されつつ、実際の故郷よりいごごちの良い「擬似農村共同体」を、再構築したものなのだ。

明治期においては、農村部で糊口に窮していた人たちが、積極的に移民となり、ハワイや西海岸、南米等の日系人社会を構築した。当然それらの日系人社会の中では、彼らがバックグラウンドとして持っていた、江戸時代から脈々と続く古い農村共同体の「コトワリ」が保持されてきた。昭和になり、日本の大衆社会化が進んでも、より古い共同体の習慣が、日系人社会の中に残っていたことは良く知られている。まさに、それと同じ状況が、海外駐在員を巡るコミュニティーの中で再現されたと考えれば、わかりやすいだろう。

そういう意味では、海外の日本人社会とは、農村共同体的メンタリティーを持った「団塊の世代」にとっての理想社会のあり方を示している、と考えるべきだろう。人間、物心ついた時期に「擦り込まれた」価値観や行動様式は、潜在意識の中に深く刻まれ、死ぬまで変ることはない。ということは、この世代の皆さまは、死ぬまでこの「サガ」からは抜け出せないということである。それだけではない。農村共同体の「サガ」は、ファミリーの中で、団塊ジュニアにも強烈に「擦り込まれ」ていうのだ。輪廻する、共同体の掟。



(05/08/12)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる