第44回総選挙






9.11の総選挙は、事前に予想されていたように、小泉首相の人気爆発で、与党の圧勝となった。この大勝利には、二つの要素がある。一つは、自民党内部での仕掛けだ。そもそも、かつて自民党の総裁選挙で選ばれたときもそうだが、小泉さん自身が、ブームがあると見るや、それをさらに加速させ、「こっちに乗った方が得だぞ」と思わせる仕掛けを作るのが実にウマい。今回も、まずこれが炸裂した。

今回の選挙では、ごりごりの「族議員」で利権に執着していたヒトも、「郵政民営化賛成」「行政改革推進」と、モロ手をあげて主張した。解散までのプロセスの中で、ベースとして自民党議員の中に「改革推進に乗った方が勝てる」というムードを作れたことが、まず最初のポイントだ。もともと自民党の議員の中に、確たる政治的主張を持っているヒトは少ない。こっちの方が勝ち馬そうだから、とか、こっちの方がおいしそうだから、というのが、ある流れにつく最大の理由である。

かつての派閥の領袖たちは、自分たちになまじ政治的主張があるがゆえに、ある種の政策や主義主張がタテマエとしては必要だ、と考えていたのかもしれないが、バブル期以降、時代はそうではなかった。ある意味では、「反対派」の人たちの方が、明確な政治的主張がある。一般の議員は、そもそも主張以前に「ご都合」を優先させる。この習性をリーダー自身が見抜いたところに、強みやユニークさがある。

ご都合主義だからこそ、政党も離合集散を繰り返すし、派閥の人脈も確たるモノではなくなっていた。この実態を一番理解していたのが、小泉さんだった、ということだ。彼自身がごりごりの派閥人間ではなく、その外側から状況を斜に構えて見ていたということもあったとは思う。彼は自民党の政治家たちは、一体どこをつつけば一斉になびくか、というのを実によく見抜いていたし、そこをピンポイントで攻めることもできたのだ。

自民党内部に関しては、自らが「勝ち馬」らしく振舞えば、多数派である「顔色をうかがう人たち」はなびいてくる。今までもこれを実践し、成功体験を重ねていたからこそ、強気の展開ができたのだ。さて党内は固められても、次のポイントは選挙である。これは、どこまで戦略的に対応した結果かはわからないが、マーケティング的に見ると、非常にウマくいった展開である。それは「無党派」といわれる人たちのとらえかたである。

かつて90年代前半に、「無党派」というコトバが登場した頃は、無党派とは「支持政党なし」という意味であった。それまでの「支持者」のように、特定の政党を常に支持するのではなく、その時その時の関心事項や政策論点などにより、一番フィットする相手を支持するという行動を取る人たちである。しかしその後10年を経て、「無党派」層はその構造を変化させた。昨今の無党派層は、そもそも「政治に関心がないヒト」である。

これは、政治に限らない傾向だ。世の中が多様化・複雑化した結果、いろいろな商品やサービスに関しても、少数の「コダわる」ヒトと、多数の無関心なヒトに分化している傾向が顕著である。たとえば、いわゆる団塊Jr.と重なる現在35歳以下のF1・M1層においては、自動車にコダわりをもつ「エンスー・マニア」層もいるにはいるが、大多数においてはクルマとはコモディティーであり、なんら自己実現とは関係ない商品となっていることは、かなり前から指摘されている。

こういう人々にブームを起すには、正面切って本質を語ってもはじまらない。それでは、ついて行けず逃げてしまうだけだ。しかしそれが、「アソびとして面白い」となれば話は別だ。本質はわからずとも、表面的な面白さで盛り上がる傾向は強い。たとえば、難しい漢字の「難読熟語」を、「勉強しよう」といっても誰もついてこない。しかし同じ「難読熟語」を、クイズや懸賞のゲームとして使うなら、ブームになる可能性は充分ある。

この傾向が典型的に現れたのが、2002年の日韓ワールドカップの盛りあがりだ。あの時、スタジアムに押し寄せるとともに、街角で盛りあがった人々の多くは、そもそもサッカーファンではない。ましてや普段スポーツの試合に足を運ぶ人たちでもない。サッカーのルールすらよくしらないヒトたちが、「なんだか知らないが、そこにいけばスゴく盛り上がれる」という祭り気分で足を運んだから、成功につながった。

そういう意味では、今回の選挙は、政治を持ち込まなかったからこそ、成功した。刺客を放っての、反対派の掃討ゲームに、選挙に行けば自分も参加できる気分になれるからこそ、政治に感心のない「無党派」な人たちが、投票所に足を運んだ。政治に関心のない有権者に対して、「ゲーム対政策論争」では、はじめから勝負はついている。有権者は、政治ではないからこそ投票所にいく。政治の話では、足が遠のいてしまう。解説者は、「論点が明解」とかいっているが、それ以前に、ここが成功のカギといえるだろう。

ともかく、昨今の情勢下では、どこが勝っても実際の政策にはそんなに差がない。これもゲームを面白くした一つの要素だろう。そういう意味では、大事なのは、これからきちんと行政改革を行って無駄をなくし、財政再建を実現することである。小泉首相には、その手腕を生かし、数の力を背景に、有無をいわせず大鉈を振るい、バサバサと切り捨てるべきところを切り捨てて欲しいモノだ。選挙に勝つだけでなく、それができてこそ「名宰相」なのだから。



(05/09/16)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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