新古典派世代






日本では、バブル崩壊後、特に金融危機以降、政治をはじめとするいろいろな局面で、「右だ、左だ」というイデオロギー的な対立はすっかり影を潜めてしまった。それに代って、「競争原理にもとづく市場経済をベースにした小さな政府」を目指すのか、「社会民主主義的な「富の再配分」をめざす大きな政府」を目指すのかという対立が、もっとも主要な軸として顕著になってきた。しかし、実は日本においてこの軸が問われ始めたのは、決して新しいことではない。

この軸は、「民」か「官」かという対立としても捉えることができる。思い起こせば、1970年代の就職戦線において、すでに萌芽的にこの軸は生まれていた。民にいくか、官に行くか。この踏絵こそが、ある世代より若い層においては、意識的に捉えていたかどうかは別として、価値観や行動原理を分ける基盤となっていたことは、当時の空気を覚えているヒトならわかるだろう。これが日本において、小さい政府を良しとする人たちと、大きい政府を良しとする人たちが、明確に分離し出した最初の兆候だ。

この時代から、比較的偏差値の高い大学の卒業生においては、ある程度以上「モノがわかっている」人材が、官庁や規制・許認可業種を目指さなくなったのだ。かつては「優秀」な人材といえば、まずは高級官僚や公社を目指すか、民間でも電力や銀行といった安定業種に就職するのが常識だった。それが変化し出したのは、やはり昭和30年代生まれあたりからだ。もっとも、当時でも「地方の秀才」は、やはり昔の「エリートコース」である、官庁や規制・許認可業種を目指す傾向は強かった。

しかし、都会の進学校出身者となると、かなり傾向が変っていた。彼らの特徴は、「自分」を持っていて、自己実現の手段として「就職」を捉えていた点にある。それは、故ないことではない。都会の進学校出身者ということは、都市部出身であり、最低でも親の代から都市部に出てきた「都会二代目」である。あるいは明治・大正にさかのぼる、祖父の代からの三代目、場合によっては四代目ということもあるかもしれない。

どちらにしろ、都会での生活基盤はすでに持っている層である。このアドバンテージは決定的に大きい。自分が「上京組」である場合は、ひとまず都会での生活基盤を築かなくてはならない。このためには、「貰えるものは何でも利用する」ための「寄るべき大樹」と、安定して「成り上がれる」仕事が必須となる。おいおい、リスク回避型になり、既存の既得権が大きく利用でき、安定的でもある官庁や規制・許認可業種を目指すコトになる。その一方で、すでに生活基盤を持っている都市部の出身者は、安定的で権威がある就職先より、自己実現しやすい「チャンスと可能性が大きい企業」を選ぶようになった。

これが顕著になったのが70年代後半である。この傾向がマジョリティーになったからこそ、その後「人気企業」もメーカーから3次産業ヘと変化していったのだ。このように、昭和30年代以降の都市部生まれの層は、社会人になるときから市場原理主義者だったのだ。また80年代に入ると、日本はグローバル化の時代に突入した。元々競争原理を信奉している層が、欧米の市場原理を身を持って体験したのだ。だからこそ、彼らはゴリゴリの新古典派になって当り前なのだ。

また「持っている」都市部の進学校出身者は、現状持っているストック・メリットを最大限に享受することを求める。当然、所得再配分的な政策には反対し、小さな政府を求めることになる。一方、「持たない」地方の秀才は、所得再配分によるアドバンテージを活かせる立場にあり、大きな政府を指向することになる。80年代以降、官僚と規制業種、再配分主義の政治家が「政官財」のトライアングルを築き、利権帝国の建設に邁進した理由も、これにより容易に理解できる。

今、「2007年問題」と呼ばれている。「高度成長期を知っている世代」の引退が起きようとしている。これはとりもなおさず、かつての「大きい政府を良しとした価値観を持つ世代」が、社会の一線からリタイヤするコトを意味する。このような変化を念頭におけば、「官から民へ」という変化は、当然の流れともいえる。社会主義政党が退潮するとともに、有力政党はどこも「小さい政府」を標榜する時代になった。これは、急激な地殻変動ではなく、この20年かけて起った緩やかな変化の集大成なのだ。



(05/09/23)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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