「階層化」の真相






昨今の社会構造をめぐる議論の中で目立つことの一つに、「階層化」を真っ当に語れるようになったことがある。かつては、「階層」は、戦後日本社会のタテマエにおいては、最大のタブーの一つであった。いろいろな社会調査に関わってきた学識経験者の話によると、国や公的機関の実施する調査では、分析の結果、明らかに階層をしめすクラスタが出現しても、それをそれとわかるように語ることはできなかったという。階層の存在は、20世紀後半の日本では、人為的に圧殺されてきたのだ。

昨今、「階層化が進んだ」という議論が、良く目に付くようになった。しかし「階層」は、一朝一夕に形成されるものではない。簡単に形成されたり、簡単に階層間移動が起ったりするようなものではないのだ。シンプルな定量指標、たとえば「所得の違い」なら、それは毎年でも変動がある。しかし、そのような指標の違いは、階層の違いにはならない。財布の厚みの違いというだけである。

階層とは、そもそもテンポラリーなモノではない。何代かに渡って、引き継がれるものがあり、それがその層の文化として脈々と伝わるようにならなくては、階層ではない。もし、最近語られるように、現在の日本社会に階層があるとするならば、それはこの5年や10年で生まれてきたものではあり得ない。何十年かけて熟成され、形成されたものと考えなくてはならない。少なくとも、戦後60年、あるいは昭和80年、もしかすると、20世紀を通して受け継がれているはずだ。

仕事柄、80年代から数限りなく、各種の生活意識や消費行動に関する調査データに触れてきた。それらをキチンと分析し、読み解くと、そこに見え隠れするのは、階層の亡霊だった。流通のポイントカードから得られたデータベースをマイニングして出てくるクラスタは、端的に言えば、階層あるいは階級そのものだった。年収データと違い、資産家と成金は違うクラスタとして出現する。階層が歴然と存在していることは、タテマエにとらわれる必要のない人々にとっては、ある種常識でもあった。

これは、一般的な生活実感にもつながる。同じような暮し向きをしていても、どことなく上品で余裕が感じられるヒトと、いかにも下品な成金趣味というヒトがいた。これらを、元来、生活や意識とは何も関係ない「年収」という指標で強引に括り、「平等だ」と主張していたのが、かつての「一億層中流論」である。しかしその時代でも「中流」をよく見ると、そこに分類されていたのは、数多い「下の上」と、少数の「上の下」であった。もともと「中流」というラベリング自体が偽善だったのだ。

そもそも、年収概念が意味を持たないのは、実際の懐具合である可処分所得を考えてみればすぐわかる。高度成長期から、年収は同じヒト同士でも、資産の持ち方で可処分所得が大きく違っていた。親の代から都会にいるので、そもそも最初から家のあるヒト。持ち家はあるモノの、ローンで購入して返済中のヒト。借家住まいのヒト。すでにこの問題については何度か議論してきたが、このような資産のあり方により、年収が同じでも、その懐具合は大きく異なっていた。

しかし、世の中とは皮肉なモノである。当時の社会は、悪平等意識だけは強かったので、可処分所得が多いからといって、これ見よがしに使うことはできなかった。おかげで親の代から持ち家のあるヒトは、その分、どんどん貯金が増えてしまう。あるいは、親の家があるのに、さらに人並みにローンを組んで、「自分の家」を買うことも多かった。どちらにしろ、おかげで資産がさらに増えてしまう。かくして高度成長期を通して、持てるものと持たざるものの差異は、一層拡大することになった。

そういう意味では、違う文化的バックグラウンドを持つ人たちが、タテマエの世界で、仲良く肩を並べていたのが戦後昭和の日本ということになる。文化が違うのだから、意識や行動は違って当然だ。昨今よく議論になる、地下鉄の電車の中で化粧をしたり、飲み食いしたりするという話も、突き詰めて考えれば文化の問題だ。それを当り前と思う文化を持っているヒト、それをエレガントでないと思う文化を持っているヒト。この両者が顔を合わすのがイヤなら、ヨーロッパのように、車内を1等2等の等級制にするしかない。「クラス」とは、そういうモノだ。

そういえば、30年前には、電車やバスの中でお乳を丸出しにして、子供に母乳を与える母親や、あぜ道でやおらお尻をめくって小用をたす婆さんもいた。少なくとも、ぼくは1970年代半ばに目撃した記憶がある。しかし、「そういうことはハシタナイ」という文化を持っている人たちもいた。ただ、この両者は直接顔を合わさないか、合わせていても、「違う人たち」ということを、自他共に自認していた。当時は、そういう「生活の知恵」が、共有されていたのだ。

まさに、問題は現実から目をそらし、理念としての悪平等を貫徹しようとする側にある。何度となくダッチロールを繰り返す教育問題も、問題はここにある。ゆとり教育を求める層、高度な教育を求める層、各々いる。これは、そもそもどっちが正しいという問題ではなく、寿司を食おうか、ラーメンを食おうかというような、選択の問題だ。これを、画一的にどちらかに寄せようとするから問題になる。これは、そもそも背負っている文化が違うのだ。

昭和20年代までに生まれた層に代表されるように、世の中には「一つの正しい価値観」しか存在しない、というイデオロギー的な呪縛にとらわれていた時代は、階層も「正しいか、正しくないか」という議論になってしまう。おいおい、「階層はない」という幻想の悪平等を結論としなくてはならなくなる。高度成長期以降の日本社会が、超悪平等大衆社会のトラウマから抜け出せなかった理由はここにある。

しかし、昭和30年代以降に生まれた世代は、そんなことはない。「自分は自分、他人は他人」が基本になっている。自分と他人は、違っていて当り前。別にそれが気になるわけでもないし、無理にどちらかに揃える必要も、どっちが偉いとか、どっちが正しいとか、口角泡を飛ばす必要も感じていない。まさに、この価値軸のパラダイムシフトが、2007年問題の一つの側面だ。階層の違いもまた、個性の違いの中に吸収されてしまい、水面下に押し隠すものではなくなったのだ。

この数年で階層を巡る状況に、何か変化が起ったかどうかと問われるなら、「Yes」と言わざるを得ないだろう。新たに階層が生まれたり、差がなかったクラスタの間に階層が生まれたり、というのではなく、「現状の階層構造を肯定する傾向が強まっている」というのなら、これは確かにそうだ。しかし、これは階層化が進んだわけではない。顕在化、公然化しただけだ。

今よりレベルが落ちるんでなければ、別に上を目指すわけでもないし、現状のままでいい、というヒトが増えているのだ。昨今、ティーンズ以下の子供に顕著だが、自分より階層の高い相手を見ても、ヒガんだりウラんだりするのではなく、「素直にヘーコラしちゃって、おすそ分けに預かる」という行動様式が増加している。すでに、階層が「あるモノ」として受け入れられている証拠だろう。階層は、いかに悪平等化が進んでいたとは言え、日本社会の中で脈々と活きつづけていた。この事実を、決して忘れてはならない。



(05/09/30)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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