組織の本質





昨今、日本企業においても、日常的に企業のM&Aや、事業の売却・買収が行われるようになった。とはいっても、企業買収があまり見られなかったのは、いわゆる「1940年体制」が続いていた時期の話である。日本の経済が、戦時体制下に確立し、それ以降戦後50年以上続いていた、「官僚主導の擬似計画経済」のもとにあったからこそ、自由な企業の売買が行われなかっただけで、それ以前の戦前の自由主義経済が華やかだった時期は、頻繁に買収や敵対的M&Aが行われていた。

そもそも健全な資本主義社会では、企業とは売買の対象になるものなのだ。だから、経営においても自由競争が貫徹している世の中なら、会社組織が誰のものであるかは、おのずと明らかになる。それは組織構成員のモノでも、ましてやサラリーマン社長のモノでもない。会社は、どう考えても、会社の本質である「資本」を出したヒトのモノである。まさに、会社とはオーナーのモノなのだ。もちろん、オーナーが小人数の場合もあるし、不特定多数の場合もある。

どちらにしても、応分のリスクを背負い、自分の資産を出資した者だけが、会社を「自分のモノ」といえるのだ。もちろん、株式会社であれば、そのリスクは「自分が出資した金額の範囲」という、「有限範囲」にとどまる。しかし、いつまでも無条件で株に価値があるワケではないという意味では、リスクを取っていることには間違いない。こんなことは、なぜ会社という組織形態ができてきたのか、その歴史を見てみればすぐにわかるコトだ。

しかし「1940年体制」下の日本においては、会社は社員のものであったり、経営者があたかも「自分のもの」のごとく振舞ったりということが、半ば常識であった。この裏には「1940年体制」のベースとなった日本型ファシズムが、軍部と官僚の「維新派」と無産政党の協力体制の上にできあがったことが色濃く影響している。軍部と官僚の「維新派」とは、無産階級出身だが、偏差値が高いので、学校の成績だけで「成り上がった」連中である。

彼らは、イギリス型の自由主義経済とは、有産者の利益だけを考えて、無産者を搾取するシステムと捉えていた。だからこそ、それに対立する仕組として、国家社会主義的な計画経済の体制を構築した。これが「1940年体制」である。戦時中と戦後で、国を束ねる拠り所こそ変化したものの、官僚主導の「国家社会主義的な計画経済体制」そのものは少しも揺がなかった。まさに、その終焉をバブル崩壊と捉えれば50年王国、金融危機ととらえれば60年王国の誕生である。

そもそも、国家体制がそういう主張をベースとして構築されている以上、その社会においては、当然「組織とは、構成員のもの」という構図が出来上がってしまう。かくして国家組織は官僚のためのもの、企業組織は従業員のためのもの、という「常識」が出来上がってしまった。これではまるで、かつての共産主義ソ連にあった、共同農場のコルホーズではないか。こういう組織は同時に、自由にお手盛りができる上に、誰も責任を取らなくていいという、「甘え・無責任」の組織でもある。

このような組織では、トップといえども、「寄らば大樹の陰」で組織に甘えているだけである。多くの日本企業の組織哲学は、まさにこういう「共産主義的もたれ合い」を基本としていた。とはいえ、日本企業においても、トップが「自らが、リーダーシップと責任を取る」コトを前提に、「企業が自分のモノである」という姿勢を持っていた会社がないワケではない。それは、トップ自身が大株主でもある「オーナー企業」の場合だ。

しかしここで大事なのは、オーナー社長は、オーナーであるがゆえに会社を体現できるのであり、社長だからではない、という点である。社長は一つの職務に過ぎず、会社が社長のものであるなどということはあり得ない。しかし、オーナーは違う。会社は、オーナーのモノなのだ。したがって、オーナー社長とは、社長が大株主なのではなく、主たる出資者が自ら責任を取って、会社の経営も行っている形態と考えるべきだ。

この問題を突き詰めると、「家」とは何か、という問題と構造が共通していることがわかる。「家」の本質は、伝統や資産といった、個々の人間を超越した存在にある。当然、現在「家」を構成しているメンバーが本質ではないし、過去の祖先を含めても、ヒトに本質があるワケではない。東照大権現ではないが、しばしば開祖が神格化されて祭られる理由は、この無形の家の本質を形式化するためである。

育ちのいいヒトは、当然自分の「家」にそういう伝統や資産があるだけに、「家」の本質が何かを知っている。「家」の本質がわかれば、「会社」や「組織」の本質も、その類推でおのずと理解できる。昭和戦前の有産階級は、基本的にこれがわかっていた。しかし、「維新派」を構成する無産者には、これをわかっているヒトがあまりいなかった。したがって彼らが構築した1940年体制の「組織」は、本来の組織のあり方とは大きく異なってしまった。

そういう「家」の本質がわからない「育ちの悪い」人間には、真の経営者足りうる資格がない。20世紀の後半には、高度成長の波に乗り、「育ちの悪い」人間もリーダーぶっていられたかもしれない。しかし、所詮は「悪銭、身につかず」。そういう体制が長続きするはずがない。90年代以降の「グローバル化」とは、まさに、そのメッキが通用しなくなるプロセスなのだ。悪平等の1940年体制も、今後は、歴史の中の半世紀の仇花として語られるだろう。



(05/10/14)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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