知の終焉






現代の日本社会は、高度成長期にそのルーツを持っているといっても過言ではない。社会の制度やシステムといった構造面、常識や慣行といったソフト面。今「当り前」となっている多くコトが確立したのは、そんな古い話ではない。これらは皆、「みんなで乗れば恐くない」という、右肩上がりの高度成長の波に乗る中で、甘い汁にありつける成功体験を積み重ねる中からできあがったのだ。けっして「永遠の真実」でもないし、いつまでも通用するワケでもない。

そういう意味では、21世紀初頭の今となっては、もはや「今まで正しいと信じていたこと」は通用せず、抜本的な構造改革が求められているのも、故ないことではない。そのようなパラダイムシフトを求められているモノのひとつとして、情報化の問題がある。今までの情報化の議論は、あくまでも「情報化以前の時代の常識」を前提とした、情報化時代の捉え方であった。将来予測のレベルでは、それでも意味があったかもしれない。

しかし、実際に情報化時代に入ってしまった以上、それでは通用しない。今求められているのは、「情報化時代の常識」を前提に、情報の扱い方や意味をとらえ直すことである。ここで一番重要なのは、情報化時代においては、情報が情報のままでは、全く価値を持たない点である。情報化時代においては、情報が空気や水以上の超コモディティー化する。情報はあって当り前だし、ごろごろその辺にいくらでも転がっているものなのだ。この変化は、現在の30歳以下の層の情報行動を見るとよくわかる。

情報が価値を持つ時代においては、情報の集大成としての「知識」や、その知識を保有している「秀才」が意味を持っていた。これは、高度成長期を含む産業社会の段階においては、社会のあらゆる局面で共通していた。もちろん、ビジネスにおいても同じである。当然マーケティングにおいても、「知識」が大いに意味を持った時代だった。当時はマス・マーケティングの絶頂期であり、「知っていることが、マス・マーケティング」だった。

この構図が頂点に近づいたのは、旧来の価値観を持った人間が主流でありながら、環境としては情報化が進み始めた1980年代である。「何が当るか」を知っているマーケッターと、「何が流行っているか」を知りたがる消費者。商品やサービスをめぐる「知識」や「情報」を、マーケッターと消費者が共有し、相互にキャッチボールすることで、どんどん市場を拡大する。この共犯関係が絶頂期を迎えたのが、あのバブル経済である。

このフレームの中では、マーケッターも消費者も同じ穴のムジナだ。秀才なら、知識があれば、どの立場にあろうと同罪の共犯関係ができあがっていた。元来、「知識」はそれ自体拡散し、常識化する性質を持っている。知識に絶対はなく、単に時間軸での相対関係でしかない。秀才とは、単に「時間軸上でより早く知識を入手している」に他ならない。情報化以前なら、秀才でありつづけるには、「早く知識を入手するノウハウ」を持っていなくてはならなかった。

しかし、1980年代にはパソコンやネットワークが登場し、ある程度情報化が進展したため、誰でも「早く知識を入手する」ことが可能になった。かくして、ことマーケティングにおいては、「一億総秀才化」が達成されることになった。こうなると、ある種、全部当りクジの懸賞みたいなものである。どこもかしこも、「バスに乗り遅れるな」という状況になる。この関係性自体はバブル崩壊後も尾をひいた。1990年代に「メガヒット」が起こった秘密もまた、この共犯関係にある。

一旦増大したエントロピーは、元には戻らない。知識が即時にあらゆるヒトに伝わるモノとなってしまった以上、もはや知識が価値を持つ時代に戻ることはできない。「知識」がいくらあろうと、どんなに「秀才」だろうと、それでは付加価値は生み出せない。大切なのは、「知識」や「情報」が無価値なものとなってしまった現実を受け入れ、情報化時代の実情にあった「パラダイム・シフト」を実現することである。

これが、21世紀が「天才の時代」と呼ばれる理由だ。定量的に把握可能なモノしか、「知識」や「情報」とはなり得ない。しかし、ヒットの本当の理由は、定量的には計れないところにある。どれだけ、受け手に感動を与えたか。どれだけ、受け手の人生を変えたか。このインパクトこそが求められている。情報をいくら知っていても、このようなインパクトは生み出せない。人々をアッと思わせるモノを創り出せるかどうか。それをもたらすモノは、天性の才能以外の何物でもない。


(06/01/13)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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