無責任の生贄







差別やイジメは、基本的に「持たざるモノ」同士が、第三者的には「目クソ鼻クソ」状態で、どっちもどっちの大同小異に関わらず、当人にとっては「自分はマトモで、アイツは鬼畜」と線を引きたがることによって生じる。この「本質的に同じにもかかわらず、違う」という論理を支えるのが、精神上の問題であり、実態のないにもかかわらず、人間の価値を決めてしまう「穢れ」という概念である。

江戸時代においては、タテマエとして肉食が禁じられていても、「薬食」と称して、庶民が肉食を楽しみにしていたのは周知の事実である。ホンネは食べたい、タテマエは食べてはならない。「薬」と称するのも、この乖離を乗りきるための言いわけの一つだ。しかし、それ以上に持ち出されたのは、元来肉食そのものとは関係がない、白米を食べられる層か、そうでない層か、という「差別」である。

当時の技術では水田の作れないような、山深い集落で生活する人々は、有史以前同様、狩猟、採取生活を主とし、若干の雑穀等を、焼畑などにより耕作していた。そういう人々にとっては、食生活のメインが、狩猟によって得られたものにならざるを得ない。したがって、水田を耕作できる農民や、都市部の町人からすると、自分たちと彼ら狩猟生活者との間に線を引き、「穢れ」の度合いが違うと決めつければ、ある種の免罪符が手に入る。

そこで引っ張り出されたのが、米である。実際、近世においては、米が主要な生産物であったこともあり、その商品としての格が高いのみならず、神聖なイメージも付与されていた。したがって、生活の中で米に触れるか触れないかで、ある種の「差異」を求めるというのは、当時の人間にとっては納得性が高かったかもしれない。「米の民」か、そうでないか。ここが分水嶺とされた。

その量の多寡はさておき、白米を作り食する自分たちは、ホンネとして肉を食べたとしても、タテマエとして米を主食としているがゆえに、その「穢れ」を拭い去ってくれる。「穢れ」があるのは、狩猟でしか食っていけない人たちのほうであり、人倫にもとる存在である。それと比べれば、自分たちは、多少の穢れはあったとしても、充分「清い」存在だ。その差別のロジックを要約すると、こういう感じになるだろう。

このそもそもの動機は、ホンネとタテマエを無責任に使い分けるところにある。ホンネとタテマエを使い分けて、その結果から自分が無責任でいるために、差別が必要とされたのだ。すべてホンネでしか行動しない人間を「穢れ」として規定し、「それよりは自分たちの方がマトモで聖なる存在」と位置付ける。

基本的に99%ホンネで行動しても、1%のタテマエを守っている分、自分たちは救われる。救われないのは、100%ホンネで行動している「穢れた」人たちのほうだ。この行動様式は、日本人の大衆の中に根深く刻み混まれている。日本人が群れるところには、必ず差別やイジメが発生する。これは、本質的に「甘え・無責任」な日本の大衆が、その集団自体を「無責任集団」化させるプロセスとして、「穢れ」を必要としているからだ。

そういう意味では、日本人の大衆が「無責任」者である限り、いかなる「差別」も「イジメ」も、この国からなくなることはないだろう。しかし、良く考えると、そういう「無責任集団」から村八分になろうと、なんら失うものはない。失うのは、「無責任のご朱印状」だけなのだ。それなら、あえて集団に属する意味もない。「自立・自己責任」なヒトは、どんどん村八分にしてもらえばいい。そうすれば、「甘え・無責任」な隣人の目を気にすることなく、自分だけ良い目を見れるんだから。


(06/02/10)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


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