武士の責任






江戸時代においては、有責任階級である「武士」と、無責任階級である「農・工・商」からなる庶民とが並立していた。この時代、庶民は無責任であるからこそ、その経済力を好き勝手に活かすことができた。これが、18世紀から19世紀には、他の諸国で類を見ない大衆文化の繁栄を生み出した。そしてそれが、ちょうど大衆文化が勃興したヨーロッパに熱烈に受け入れられ、「ジャポニズムからモダニズムへ」という、近代文化の雛形を生み出したことはいうまでもない。

しかし、この棲み分けが同時に、世界に冠たる「超無責任大衆社会」を生み出したことも否定できない。江戸時代から、日本の社会構造のベースは「甘え・無責任」にあった。だからこそ、「野次さん喜多さん」でおなじみの道中ものでも、すでに「旅の恥はかき捨て」という発想が随所に見られる。まあ、日本の一般大衆の無責任さについていうならば、明治維新も、第2次世界大戦の敗戦も、あまり影響を与えなかったということだろう。

そういう社会であるからこそ、本来有責任階級であるべき「武士」にも、無責任な体質が蔓延することになる。全ての武士が、責任感に富んでいたわけではないのだ。江戸中期以降の、官僚化してからの武士には、責任感が薄かったり、いいかげんだったりする人間のほうが多かったに違いない。しかし、そのホンネがストレートに出てしまっては、社会構造が崩壊しかねない。だからこそ、これを補完するシステムが整備されていた。

いわばタテマエとしての「ベキ論」において、いざというときには、武士である以上責任を取らされてしまう仕組が、制度の中に組み込まれていたのだ。これこそが、武士を武士たらしめていた、ということになる。本人の意識がいかに無責任であっても、何かをすれば結果として責任のお鉢が廻ってくる仕組み。アプリオリにそういうシステムがあるならば、それをやって自動的に責任を取るか、責任を取らされないためにそれをやらないか、選ぶ道は2つしかない。

その典型が、「刀」である。武士はいつも刀を下げていて、「切り捨て御免」の特権を持ってはいる。ある意味で、刀は武士のポジションの象徴でもあった。だからこそ、その使用には、有責任階級としての武士のありかたそのものが問われる。すなわち、刀を携帯し、いつでも使えるものであることは間違いないが、それを行使したが最後、いざというときには自分も切腹して責任を取らなくてはならないシステムになっていた。

考えてみると、この「使ってもいいが、使う以上は命懸け」という仕組みは、責任を明確にする上では、非常によくできている。自由はあるけど、責任が伴う。それが、常に自分の命をカタに取られたかたちで担保されている。これなら、どんな無責任なバカでも、オートマチックに責任が取れる。責任を取りたくなければ、やらなければいい。極めてイージーだが、キチンと機能する仕組である。

武士も人の子であり、日本人である以上、「自立・自己責任」より「甘え・無責任」の方がラクでおいしいと感じても仕方ない。しかし、江戸時代の基本であった「階級社会」を成り立たせるためには、無責任階級である庶民とは違い、「有責任階級」であることが求められる。だからこそ、安易な責任システムがあり、それにより形式的に責任を取らされることが重要だった。こういうシステムがビルトインされていたからこそ、まがりなりにも200年以上、同じ体制がキープできたのだ。

もちろん、「自立・自己責任」で行動できる人が増えるのが最も望ましいことは間違いない。だが今の時代でも、日本人の大多数は「甘え・無責任」教の熱烈な信者である。そういう社会を、健全に運営するためには、実は、この「刀と切腹」のような、単純明快な責任システムが必要なのではないか。ウヤムヤにして責任を不明確にしてしまうのではなく、理由はともかく、「こいつの責任」というフレームだけは明確にする。それさえウマくできれば、今の日本人にも、ちょっとはマトモな社会が作れるだろう。



(06/05/19)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


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