遵法精神







世の中には、学校の式典で君が代を唄ったり、日の丸を掲揚することに反対する人たちがいる。基本的には、個人の思想心情に属することなので、個々の人たちが心の中で賛成しようと、反対しようと、それは各人の「好き・嫌い」の問題である。ぼく自身、個人的には君が代・日の丸は大好きだが、それも個人の嗜好だと思っている。別に、反対するヒトがいたとしても、そのヒトの人格を否定したり、嗜好を変えさせたりしようとは思わない。

さて学校の教師の中にも、「君が代・日の丸」に反対、というヒトがいる。教師であっても個人レベルでは、「君が代・日の丸」が好きだろうと嫌いだろうと構わない。しかし、問題なのは、こと教師で反対しているヒトに限って、自分の考え方を周りに押しつけたり、力ずくで妨害しようとしたりすることが多い点である。思想心情の自由というのは、違う意見の持ち主が、それぞれの心の中に限っては、その違いを相互に認め合うことによって成り立つ。

しかし、教師というのは職業柄、常に生徒より優位なポジションにいることに慣れすぎているのか、「自分の意見を、周りに押しつけて当り前」と思うところがあるらしい。いや、もしかすると、「井の中の蛙」状態で、いつも一人天下状態でいられるからこそ、教師という職を選ぶヒトが多いのかもしれない。確かに、真っ当なセンスを持った教職者に聞くと、ほかの先生から授業の様子や生徒ととのインタラクションを見られることを、極度に嫌う教師が少なくないという。

これはこれで問題である。しかしこの構造は、国語の教師が、「個人的に森鴎外が嫌いなので、授業中、その名前が出てくると批判ばかりする」ようなものである。いわば、職業モラルの問題であり、その個人の教師としてのレベルの問題である。そういう、自己中心的に思いあがっているヒトであれば、少なからず、他の問題や他の局面でも同様の「押しつけ」行動が出ることが多い。であるならば、教師としての実力や適性を、成果主義で評価するようになれば、問題は解決する。

より根深い問題は、そういう教室内での言動、行動ではなく、それ以前のところにある。そもそも学校というのは、知識やノウハウを学ぶためだけにあるモノではない。学校で学ぶべき「基礎・基本」の中には、確かにそういう「読み書き算盤」的な要素も含まれている。しかし、それは家庭で公文式ドリルの通信教育を受けても、充分に習得可能なモノであり、学校固有の機能とはいえない。では、学校でなくては学べないものとはなにか。それは、集団生活のリララシーである。

人間、ただ集めて集団にしたところで、「烏合の衆」にしかならない。これは、エントロピー極大状態の混沌・ケイオスであり、そこからはなんら秩序や均衡が生まれることはない。つまり、集団が社会性を持つには、その構成メンバーが集団生活のリタラシーを持ち、主体的に役割をわきまえた行動ができることが前提となる。そして、そのリタラシーは集団生活の中からしか獲得できない。人間集団に秩序を創り出すやり方は、秩序ある集団に属してはじめて会得できるのだ。

情報化の進んだ現代社会においては、およそ「学習」に類することは、「いつでも・どこでも」実施可能である。そういう社会おける学校の存在意味を問うなら、この「集団生活のリタラシーを獲得する」という一点しかあり得ない。では、そのリタラシーとは具体的に何か。それは、構成員相互の距離感のコントロールである。それぞれの「好き・嫌い」、すなわち思想心情が異なっていても、それがストレートにぶつからないようにする方法。これは、いわば「混雑した道路で事故を起さない方法」である。

学校独自の存在意義とは、社会で事故を起さない方法を実体験する「教習所」以上のものではない。そのカギは、「悪法も法なり」として受け入れ、ひとまず「事故を防ぐためには、ルールを守る」という遵法精神にある。それが、個人的な好みと違っても、ひとまず社会で決めたコトは守る。これをやってこそ、反対意見も説得力を持つし、少数意見でも尊重される。学校で学ぶべきは、漢字や九九以上に、この遵法精神でなくてはならない。

すなわち、反対するにしても、ひとまずルールを守り、それに従った上で、自分の個人的意見を主張するのが、社会性というものである。となると、個人的な意見からルールそのものを破ってしまう、「君が代・日の丸」反対教師の実力行動というのは、そもそも学校の機能自体を否定していることになる。これは、質や成果以前の問題である。彼らはいわば、学校制度を破壊するテロリストなのだ。こういう人たちが、教師という職務に対する給料を貰っている、ということ自体がすでに矛盾しているということに気付く必要がある。



(06/06/16)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


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