二つの天皇






昭和天皇の靖国神社参拝に関する、富田宮内庁長官のメモが公表され、大いに議論を呼んでいる。昭和天皇自身は、明治天皇以来の立憲君主としての立場を重視し、輔弼する内閣の決定を尊重し、個人の意見はあったとしても表に出さない姿勢を貫いたことで知られている。もっとも、その立場を踏み外さざるを得なかった二つの決定(226事件とポツダム宣言受諾)が、昭和の日本を危機的状況から救ったというのも、歴史のアイロニーではあるが。

この問題に関し、天皇制を重視している人たちの間で、特に議論が生じている。実は、日本においては天皇制が必要だ、と考えるヒトには二種類いる。この問題は、図らずも、この二種類の「天皇制支持者」の間にクサビを打ち込むことになった。この二種類の人々とは、まさに、ここでも何度も論じてきた「密教徒」と「顕教徒」である。天皇制への関心の薄いヒトには、この両者は同じに見えてしまうかもしれないが、実際は水と油、天敵のような関係なのだ。

まず第1のグループは、元来の明治憲法が目指していた、西欧型の階級制度を前提とした社会構造を目指す上で、天皇の存在がかかせないというヒトたちである。いわゆる「密教徒」。これを、ここでは「明治憲政派」と呼ぼう。筆者の立場も、ここに入る。これに対し第2のグループは、「40年体制」に代表される、無産階級による無責任社会を実現する上で、天皇の存在がかかせないというヒトたちである。いわゆる「顕教徒」。これを「昭和維新派」と呼ぼう。

いままで、この両者の違いは、「戦後民主主義」が普及する中、一般の人々からは余り意識されず、どちらも保守派とか天皇制支持派としか捉えられなかった。それだけでなく、当事者においても、「明治憲政派」のみは、この構図を理解していたが、「昭和維新派」は意識的に両者の混同を目指していた。あるいは、そもそもその違いがわからないからこそ、「顕教徒」となっていたというほうが正解かもしれない。とにかく、この構造がわかっていたヒトは、日本の中では極少数であった。

では、「明治憲政派」にとっての、天皇の存在意義はなんだろうか。それは、会社は誰のものかという議論における、CEOの役割に似ている。会社は、株主のものでもあり、顧客のものでもあり、社員のものでもある。「誰かだけのもの」ではない。会社はすべてのステークホールダーのものであるが、そもそもステークホールダー間では、利害が対立するのが当り前。これを両立させるのが、CEOのガバナンスだ。

株主対顧客。株主対社員。顧客対社員。ある意味では、同じ「成果」を取り合う関係にある。CEOは、そのプレゼンスでこれらの利害のバランスを取り、みんなが納得する構図を作るのが役目である。利害のピボットとして、対立する関係を、その存在感をベースに調和させ、納得させる。CEOの役割としてコミットメントが重視されるのは、先に全てのステークホールダーに対し到達点を公約することで、後から起る可能性のあるモメ事を防ぐところにある。

そもそも明治憲法が公布された時点では、本来の主権者であり施政者は「有責任階級(≒有産階級)」である一方、彼らが統治する対象として「無責任階級(≒無産階級)」が設定された。ある意味で、利害が対立するこの「国家のステークホールダー」の関係を、矛盾なくバランスさせる「国家のCEO」として、明治憲法下の天皇の存在が位置付けられた。これは、19世紀の西欧の立憲君主のあり方としては、もっともオーソドックスなものである。

有責任階級にとっては、あくまでも自分たちが責任をもって政治を行う以上、天皇は「神聖にして犯すべからず」と割り切り、政治的責任が問われない存在であった。明治天皇が最初に体現した「近代天皇」の位置付けは、まさに「密教徒」たる伊藤博文、井上毅といった「明治憲法・教育勅語」の起草者たちが設計したように、当時のイギリス国王やドイツ皇帝に通じる、「国家のCEO」たる西欧近代立憲君主国の君主としてのそれであった。

それでは、「昭和維新派」にとっての、天皇の存在意義とはなんだろうか。昭和維新派の目指す国家のあり方は、「無産階級による権力の掌握」である。昭和初期の維新官僚や青年将校たちは、偏差値だけで成り上がった無産階級の出身者が多かった。有産階級の出身であれば、優秀な成績をおさめた者ならなおさら、実業界や政界で活躍する道があった。しかし、無産階級出身者にとっては、点数だけが勝負の軍隊や役所しか道がなかった。

この結果、彼らはその出自の示すように、社会主義的な国造りを目指した。いわゆる左翼との違いは、理想社会の実現を「国家社会主義」として、天皇の名の元に実現しようとした点だけである。目標となる社会のあり方は、さほど変らない。事実、政党の中でも、昭和10年代に軍部の政策に真っ先に支持を打ち出したのは、政権をとっていた「自由主義的な政党」ではなく、労働者や農民を支持基盤とした「無産政党」であった。

となれば、彼らの目指すところは明らかだ。それは、究極の無責任社会である。実際、それは「40年体制」として結実し、今にいたるまで、その命脈を保っている。戦争にこそ負けたものの、目指した「無責任社会」を作り上げるという意味では大成功だったといえるだろう。すなわち、「昭和維新派」が求めたのは、「責任転嫁の対象」としての天皇である。そもそも責任を問える対象ではない「天皇」の名において行動する限りは、個人としての責任は一切問われない。

そういう意味では、「昭和維新派」の顕教徒にとっては、必要なのは責任転嫁の象徴であり、それは必ずしも今の天皇家でなくてもいい。責任をおしつける相手が、大きく超越的、絶対的であればあるほどいいことになる。つまるところ、「顕教徒」は「将軍様」が欲しいのだ。「将軍様」の名の元にことを行う限りは、全てが免罪される。求めているのは、この方程式だけなのだ。

そう考えてみると、こういう「顕教徒」の人たちが、「将軍様」のいる国の問題に過剰反応するのもよくわかる。心理学の専門家によると、実はホモセクシュアルのケがあるにも関わらず、それを表に出したくないヒトほど、ホモセクシュアルをカミングアウトしているヒト拒絶するという。内ゲバの例を引くまでもなく、似たもの同士ほど相手を認めたがらないのは、人間の根源的な行動様式である。まあ、天皇制支持といっても、二種類あることが誰の目にも明らかになっただけでも、よしとするべきなのだろうが。



(06/07/28)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる