医学部ブームの意味するもの







昨今、大学就学年齢の人口が減少し、大学の生き残りのためのマーケティングが求められる中、医学部の競争率だけは高まり、偏差値も上昇している。その理由は、単純で明確。マジメにコツコツ勉強して高偏差値を取る「秀才君」にとって、その努力が報われ評価される場が、世の中で「医学部の入試」しかなくなってきてしまったからだ。高偏差値を取ることが目的の人たちが、さらに競うのだから、これは競争が厳しくなって当り前。

かくして、医学部の入試は、最後の「秀才市場」となってしまった。だが、ここに至るまでには、長い歴史の道のりがある。少なくとも近代の日本においては、「秀才」はそれなりに高く評価されていたことも事実だし、そういう生きかたを目指したヒトが多かったことも事実だ。またそれは、「秀才的な生きかた」が世間的に認められ、収入やステータスにも結びついていたことを意味する。その流れを振りかえってみよう。

そもそも戦前においては、秀才の生きる道といえば、軍の将校か高級官僚であった。というより、この両者は、設定された当初の目論見はさておき、20世紀に入り日本が大衆社会を迎えてからは、「秀才による秀才のためのキャリアパス」として、偏差値主義で構成されたものになっていた。この道を選べば、無産者でも勉強ができる秀才であれば、無責任に権力をふるえるシステムであった。

その革新将校と維新官僚が、無責任に権勢をふるった結果、日本は敗戦へと暴走することになる。この結果、軍は解体され、「将校になる」というキャリアパスは閉ざされることになった。しかしその一方で、「40年体制」として確立した「無責任官僚制度」は、戦後も温存されるのみならず、進駐軍統治の時代、その後の「戦後民主主義」の時代を通じて、さらにその勢力を伸ばし、強化され続けてきた。

ある種、偏差値主義、秀才主義が戦後日本の基調となった裏には、この「40年体制」的な価値観が、世の中の基準となっていたコトがあげられる。こうなると、当然民間でも偏差値主義が受け入れられ、罷り通るようになる。当時の高度成長の時代には、会社の経営管理に関して、「人手による労働集約的情報処理」が欠かせなかったこともあり、そのための人材確保のプロセスとして、「偏差値主義」による秀才の確保が一般化した。

これが続いている間は、マジメに勉強して、努力していい点を取って、という秀才になれば、それなりに社会的に評価され、努力が報われるカタチで生活して行くことができた。もっとも、その人間が本当に価値を生み出し、成果に貢献できたのかどうかはハッキリしないのだが、少なくとも、当時の社会からはその存在が見とめられていた。そして、結果としての偏差値がいくつになったのかは別として、みんなが高偏差値を目指していたことも確かだ。

この価値観に変化が生じたのは、高度成長のスキームに破綻が見え出した、70年代のドルショック、オイルショック以降のことである。70年代から、少なくとも都市部の進学校では、マジメに勉強し努力する生き方より、地頭の良さで要領良く省エネで世の中を渡り歩く生き方のほうが、より価値があるモノとされだしたのは、この傾向の嚆矢といえるだろう。70年代後半になると、たとえば東大法学部でも、「地方の秀才」はまだ高級官僚を目指していたが、「進学校の地頭野郎」は弁護士か民間を目指す傾向が顕著になった。

80年代に入り、円高不況下の安定成長期でこの傾向は強まったものの、結局時代がバブル経済に向かっていったことからも解るように、社会全体では偏差値主義はまだまだ大手を振っていた。ある意味では、秀才主義の「遅れてきた全盛期」といえるかもしれない。偏差値主義の価値観が転換するためには、高度成長期的なパラダイムが、社会的に完全に通用しなくなることが必要であり、それはバブル崩壊後、金融危機が起るのを待つ必要があった。

金融業界というのは、高度成長下では「準官僚」といえる存在だった。当然、偏差値主義、秀才主義が人材に対する価値観の基準だった。しかし、知識こそ豊富だが、知恵やアイディアを生み出せない秀才では、バブル崩壊後の金融界の荒波は渡りきれなかった。その結果、「潰れることはない」と思われてきた、金融機関の破綻が相次いだ。もはや、秀才はなんの役にも立たない人材であることが、誰の目にも明らかになった。

だからといって、秀才的な生き方を、そう簡単に変えるワケにはいかない。世の中には、朴訥でマジメなだけで、決して地頭の良くないヒトの方が多い。知恵の勝負になったら、こういう人たちは一生うだつが上がらない。かくして、秀才的な生き方が通用する最後のオアシスを求めて、マジメ難民たちはさまようことになる。そして、その行きついたラストリゾートが「医学部」というワケである。

しかし、もともと医者というのは、知識や勉強でやるモノではない。どちらかというと、その対極にある職業だ。ヒトの命を救うには、採算を度外視しても使命感に燃える「医者バカ」ともいえるような倫理観と、職人的な技や職業自体へのコダわりが必要だ。いい医師になるには、この両者を兼ね備えていなくてはならない。ということは、「秀才君」では、たとえ医師免許まではもらえても、医者としては一生「うだつが上がらない」存在に甘んじることになる。もっとも、そこまで見通すには、「地頭」の良さが必要なのはいうまでもないが。



(06/07/28)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


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