見られるコト






戦前昭和の日本においても、都会においては、欧米風のファッションや化粧、ヘヤメイクがある程度は広まっていた。これらを支えていたのは、それなりの資産・財力を持つていた、比較的上流層に属する人たちである。当然、「みんながどうしているか」を気にすることなく、自分の審美眼に基づき、自分がいいと思ったものだけを取り入れるといおう、自立した価値観の持ち主でもあった。

この時代になると、彼ら・彼女らは、一般大衆とは違い、欧米に留学したり、「外遊」したりする経験を持てた。このように直接海外の文化に触れ、その中で自分が「気に入った」ものを日本へと持ちかえってきた。アールデコを日本に紹介した朝香宮、国立西洋美術館の基礎となった松方コレクションなどは、その頂点ともいえるものだが、数多くの「洋行帰り」の人たちが、先端の文化を日本に持ちかえった。

それを、都会に住む中産階級が取り入れ、「モガ・モボ」と呼ばれる流行を作り出した。ここまでは、ある種「自己責任」であり、自分を表現したいからこそ、そういうファッションをする、という原則は貫かれていた。当時、印刷メディアやニュースフィルムが中心ではあったものの、すでにマスメディアがあり大衆社会化が進んでいた。こういう状況の中で、都会では「そういうスタイル」が流行っている、という事実は広く共有されていたのは間違いない。

しかし、当時の日本の人口の多くを占めていた農村部の人たちにとっては、それを見つめた眼差しは、戦後でいう「ブラウン管の中」と同じものであり、けっして自分たちの生活感の中でのリアリティーがあるモノではなかった。実際、当時の地方都市の駅頭の写真などを見ると、ほとんどの人たちが江戸時代や明治時代さながらの、地味な日常の和装であり、「洋服」をきているのは、都会から出張でやってきたビジネスマン程度である。

しかし、そういう「都会的生活」に「憧れ」を持っていた人が多かったのは、いろいろな文芸作品に描かれている。また、実際に都会に飛び出してきて、浮き草のような生活をしていく中から、それまでの市民にない、新しい類型の生きかたを切り開いていった人も、多く記録に残っている。そういう意味では、欧米的・都会的生活は、農村部に住む多くの人たちにとっては、「憧れだが、手にいれる勇気がない」ものだったに違いない。

この構造は、戦時中を通しても基本的に変化はなかった。いや、戦時中に成立した、いわゆる40年体制は、農民・無産者的メンタリティーが基本になっていたコトからもわかるように、この「憧れ」を現実化する方向性がビルトインされていた。一見戦時体制は、「鬼畜米英」を叫んで、表面的には復古的な装いを持つが、実はこの姿勢は「アンチ巨人」のようなものであった。だからこそ、40年体制は、戦後もそのまま維持・強化されたコトを見逃してはならない。

そして、やってきたのが高度成長期である。20世紀に入って以来、50年間の大衆社会の夢がやっと実現する。農村大衆の「憧れ」は、手に入らないものではなく、ちょっと背伸びすれば手に入る「努力目標」に変った。昭和30年代に入ると、これにより日本のファッションやコスメの業界は、限られた上流層を対象とするセレブリティー・ビジネスから、広く大衆をターゲットとするマスビジネスへと変貌した。

実際、子供の頃のテレビニュースで、集団就職する地方の女生徒を対象に、化粧品メーカーが化粧講習会を行い、嬉々として口紅を刺したりするシーンを見たことを覚えている。都市部への人口集中が進むとともに、生活の欧米化も進み、あっという間に、都会においては「女性は洋装で、洋風の化粧をする」のが当り前になってしまった。ここで問題なのが、それを支えたメンタリティーである。この時代、大衆化したファッションや化粧品のマーケットを支えたのは、集団就職に代表される、新たに都会に出てきた層である。

この層は、農村共同体で育ったため、基本的に「自立した自己」を持っていない。元来、ファッションやメイクは、自己表現の手段として、自分の内面的な価値観に基づいて行うものである。しかし、そういう自己がないまま、「憧れ」だけをルーツとして、普及がはじまった。それゆえ、こと日本の大衆においては、ファッションやメイクとは、自分を持たない人間が「世の中の流行にあわせる」ものとして定着してしまった。

このほうが、マーケティング的には余程イージーなこともあり、この傾向は加速度的に広まった。ところで、団塊世代以上の女性は、昭和30年以降に生まれた女性に比べて、「化粧していない素顔を見られることを恥ずかしがる」傾向が著しく強い。これはまさに、ファッションや流行が、自分の「いなたい素顔」を隠し、都会人の群集の中に紛れるために広まった「原型」を、今に伝える遺跡といえる。

金融危機以降の経済構造の改革の中で、団塊世代が上昇指向の求心力を発揮する原動力となった、「横並び・年功型」の日本的雇用は崩れた。それとともに、団塊世代といえども、「一塊」ではなくなってきた。企業からのリタイヤとともに、この世代の男性は、「力の及ぶ限り、今まで同様の横並びに燃える層」が数的にはおおいものの、趣味オヤジ化する層や、競争からオリる層も目立ってくると考えられる。その時、団塊女性のファッションやメイクはどうなるのか。これらの業種にとっては、これは大きな課題となるはずだ。



(06/09/15)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


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