地方財政






このところ、地方自治体の財政に関して、債務超過に陥り「経営破綻」したり、そこまでいかなくても、病院など公営施設が維持不可能になったりというニュースによく接する。もともと、自律的なバランスを無視し、中央からの補助金・交付金漬けになっていた以上、いつかは破綻するのは必然であった。それだけに、表面的な取り繕いで危機を後ろ倒しにせず、ダメなモノはダメと、引導を渡すようになったのは、少なくとも半歩は前進といえるかもしれない。

そもそも地方への補助金・交付金は、利権構造としても象徴的であるが、40年体制特有の「悪平等的な所得再配分政策」にもとづく、バラ撒き行政の典型でもある。一方で、「寄らば大樹の陰」で、「大きい政府」に対し「ないモノねだり」をし、貰えるものは貰ってしまおう、という、「甘え・無責任」な地方の大衆。もう一方に、そこに自分たちとしてもおいしい利権構造をつくり、既得権としていきたい中央の官僚。まさに、「甘え・無責任」の両巨塔がの競演である。

この結果、地方自治体は自律して経営できるレベルを大きく超えて、補助金・交付金なしでは成り立たないほど、際限なく肥大していった。結果、いわば自然死を迎えているはずの人間を、人工心肺や人工臓器で、強制的に生きさせているような、あまりにアブノーマルな状態にまで達してしまった。これは、麻薬中毒と同じ。はじめは手段だったものが、禁断症状がでるほど深入りすると、それ自体が目的化してしまうのだ。

それでも右肩上がりの高度成長期なら、自転車操業的に、資金を捻出し地方に投入することもできたかもしれない。だが、金融危機からも、もはや十年が経とうとしている今となっては、こんな大出血を放っておいたのでは、国家財政自体が失血死してしまいかねない。日本は、交通事故で死者が出ないと、信号が設置されない国である。ここで多少の生贄が出た方が、後々のためになるかもしれない、と、皮肉りたくもなる。

考えてみれば、地方が自律性を失ったのは、20世紀に入ってからである。長い日本の歴史の中では、各地方が、極めて高い自律性を持ち、安定的に存在してきた時期の方が余程長い。各々の地域では、それぞれの風土や産物にあった経済構造を持ち、それをベースにした文化や生活習慣を誇ってきたはずである。それらは、決して高い生産力を持たなかったかもしれないが、きわめてエコロジカルで、サステイナブルなものだった。

それが崩れ出したのは、大衆社会化の進展の中で、地方の大衆のエゴが剥き出しになってきたからだ。都市化、情報化が進む20世紀。地方の住民にも、都市部の経済や文化の発展は当然伝わってくる。本来なら、ここで地方に住む人々にとっては、二者択一がなされるべきである。このまま、貧しくとも安定的な地方の生活を続けるか。それとも、一攫千金を夢見て都会で一旗上げる可能性に賭けるか。本来これは、両立し得ないものである。

今の言葉でいえば、まさしくこれは、ローリスク・ローリターンが、ハイリスク・ハイリターンかという、人生モデルの選択である。もちろん、こういう選択をしたヒトもいる。しかし、多くの地方の大衆が選んだのは、地方の安定的な生活をしながら、都会と同様のおいしさを享受することであった。こんな、ローリスク・ハイリターンな選択は、あるワケはない。しかし、それを数の力で押しきったのだ。

40年体制においては、官僚の多くが、地方の大衆から生み出された。なんのことはない。この中央・地方関係においては、全てが地方の利害関係者だったのだ。こうなれば、お手盛りしかない。かくして、戦後日本においては、本来あり得ない「ローリスク・ハイリターン」を、補助金・交付金を通して実現することが可能になってしまった。それが「常識化」してしまったからこそ、地方のヒトからすれば、現状を前提に「サービス低下だ」ということになる。

しかしその現状が、本来あり得ない「過剰サービス」なのだ。公営病院が維持できなくなり、医者がいなくなるといっても、元来、数十年前には無医村が当り前だったのだ。そんなエリアに医者がいるほうが、過剰サービスである。かつては、その地域ならではの、古くからの民間医療とかがあり、西洋医学を修めた医者がいなくてもなんとかなった。バラ撒き行政とともに、そういう地域の知恵も失われてしまったのだ。

今は、19世紀と比べれば各段に生産力が上がっている。古くからの地域の知恵を復活し、現代の技術や生産力と組み合わせるなら、地方の自律性の回復も不可能ではない。しかし、そこには一つ条件がある。それは、20世紀に行わなくてはいけなかったはずの、ローリスク・ローリターンが、ハイリスク・ハイリターンかという、人生モデルの選択を行うことだ。高望みをせず、分相応の生活をするならば、現代の地方は、19世紀のそれと比べれば、天国ともいえるモノになるに違いない。


(06/10/13)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


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