ビートルズ「Love」






ビートルズの「新譜」、「Love」が出た。まあこの数年は、毎年ジョンとジョージの命日が続く年末になると、必ずビートルズがらみのコンテンツが出てくるのが恒例化している。それだけでなく、これがまたEMIにとっても、必ずヒットするドル箱にもなっているので、またか、という商魂を感じてしまわないでもないが、それでも買ってしまうのが、ビートルズとビートルズファンの深い関係というものだろうか。

さて、今年の「Love」は、そういう意味ではちょっと毛色が違う。アンソロジーにはじまり、イエローサブマリンのサントラで一線を越えた、ディジタル技術によるマルチトラックマスターの復元をさらに推し進めた、文字通りのリミックス作品になっているからだ。それだけに、世の中の反応も賛否両論である。それは、ある種「ビートルズ」というプロジェクトをどう捉えているか、ということと直結している。

それは、ビートルズの作品がどうやって作られたか、ということと関連している。ジョン・ポール・ジョージ・リンゴの4人がスタジオでプレイしただけでは、ビートルズの作品は成り立たない。そのマスターテープに対して、ジョージ・マーティンによる膨大なポストプロ作業が行われてはじめて、我々が聞きなれたビートルズの作品が成立する。このポストプロのマジックがなくては、ビートルズの作品は成立しないのだ。

実際、これらの作業の中から、その後スタジオワークの基本となった、いろいろなテクニックが開発され、試されていった。生の録音と「作品」との差異は、まさにアンソロジーによって誰もが知り得るものとなった。しかし、リアルタイムのファンでも、末期になると、このプロセスに関する情報は伝わってくるようになった。ただ、オリジナルソースを聞くことができなかった(一部、ブート音源はあったが)だけである。

そういう意味では、「神の耳と技」を持つ、ジョージ・マーティンがいてはじめて、ビートルズの作品は成立する。彼はバンドのメンバーではないが、ビートルズというプロジェクトにおいては、最も主要なメンバーでもある。これは、末期だけのことではない。初期のスタジオライブ的な録音でも、「そのテイクにOKを出す」ことで、40年以上たった今でも新鮮なコンテンツを創り出していたのだから。

ある意味で、ソロ活動になってからのメンバーが、けっきょくビートルズを越えられなかったのも、これが理由といえるだろう。録音したままのマルチマスターの中には、まだビートルズの音は入っていないのだから。そう思ってみると、アンソロジー(特に映像版)は、ビートルズ第五のメンバーとしてのジョージ・マーティン自らによる、ビートルマジックの種明かしと見えてくる。

「Love」も、その延長上にある。これは、ジョージ・マーティン(とその息子のジャイルズ)のアルバムである。だからこそ、ビートルズのアルバムとして評価できる。リアルタイムのポストプロ作業では、アナログのエフェクトや切り継ぎといった手法しか使えなかった。それを、ディジタル技術による、より自由なポストプロ作業で、より創りたかったイメージに近い作品を作り上げたとみるべきだ。

個人的には、「ビートルズの中で、ぼくが一番思い入れがあるのは、ジョージ・マーティンだ」と公言しているだけに、より彼の関わりと思い入れの濃いこのアルバムは、評価しているし、気に入っている。それに加えて、一子相伝ではないが、このジョージ・マーティンマジックを今後も受け継いで行く後継者が登場したことも、妙にイギリス的伝統を感じさせるではないか。この路線は、今後とも期待したい。


(06/12/01)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


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