日本式ガバナンス






近代、いや近世以降の日本の組織の特徴は、いままで何度も述べてきたように、その組織の構成員の持つ「甘え・無責任」な欲望を最大限実現することを目的としているところにある。そもそも、組織としての戦略目標は一切ない。組織としての自律性があるのではなく、その中にさえいれば、構成メンバーは際限なく「甘え・無責任」でいられる、ある種の「ゆりかご」というか、母胎というか、そういう楽園を実現するために作られたものなのだ。

このための基本的なシステムとしては、縦割りによる既得権の擁護と、「総論賛成・各論反対」というコンセンサス作りがあげられる。縦割り組織はいうまでもなく、部分最適に特化し、全体最適を実現させないためのメカニズムである。組織全体としての戦略的目標を作らせず、常にそのサブセットとしての部門の戦術的目標の実現だけを最大の課題とする。これにより、各々の部門の持つ既得権は聖域化し、甘えるべき「大樹」となる。

一方「総論賛成・各論反対」は、部門間の相互不可侵をうたった、ある種の平和条約のような機能を持つ。将来的な事業計画にしろ、予算計画にしろ、コンセンサスとして決めるのは、誰もが共通に納得できるレベルにとどめる。その先は、それぞれの部門がよきに計らうワケだ。これにより、それぞれの持つ利権に関しては、結果でしかなくなり、事前に決定したり了解したりし得ないものとなる。それだけでなく、誰も意志決定していないのだから、そもそも誰にも責任が発生しないことを担保することにもなる。

要は、全体としては何も決めないし、何も縛りを入れない一方、他人から見えないところでは、各々勝手にやりあって黙認しあおう、というコトなのだ。なんのコトはない。成員は、みんな組織にぶるさがっているだけ。これでは、そもそも組織としてのまとまりが得られないし、何らかの成果が得られることもおぼつかない。だから、こういう組織が成り立ち、外見上維持されていくためには、その矛盾を埋める何物かが必要となる。

この「何物か」こそが、「右肩上がりの追い風」である。組織を取り巻く環境自体が、何もしなくても成長しつづけていれば、組織内で何もしなくても、それなりの成果が上がる。その果実が充分に大きければ、「甘え・無責任」にひたっていても、それなりに組織は転がってしまう。20世紀後半の日本企業が、まさにこれだ。何も仕事をしないし、それどころか組織を食い物にする。それでも、市場が高度成長し、潤沢過ぎるキャッシュフローがあれば、それなりに帳尻があっていた。

だが、バブル崩壊以降、特に金融危機以降、このようなやり方は通用しなくなった。右肩上がりの追い風がなくなってしまっては、日本の組織も「甘え・無責任の聖域」ではいられない。ところが、人間の意識や行動は、そんなに簡単には変えられない。日本企業も、「甘え・無責任」な人間を抱え、旧態依然とした組織機能構造を持ったまま、この変化に対応することが必要となった。結果、変化についていけない「負け組」が続出することになった。

もちろん理想論としては、人心一新、組織も一新、「自立・自己責任」な組織として生まれ変わることが望ましい。しかし、20年先の話はいざ知らず、緊急対応を考える上では、所詮机上の空論である。では、日本の企業や組織は、このまま座して死を待つしかないのだろうか。そんなことはない、「毒を持って毒を制す」ではないが、「甘え・無責任」な人間が主流だからこそ可能となる、日本式のガバナンスのやり方がある。

グローバルスタンダードからいえば、確固としたガバナンスの確立には、トップダウンの意志決定が不可欠である。しかし、トップダウンの意志決定は、全体最適を図り、個々の部門の既得権を否定するコトにつながる。これでは、既得権者の猛反発を喰らうとともに、中間的なメンバーも「守旧派」化させてしまうことになりかねない。このボトルネックに対するブレークスルーとなるのが、「甘え・無責任」な人たちの大好きな、「丸投げ」という習性である。

このためにはトップダウンではなく、まずはじめに「全員参加型」の意思決定プロセスを作ることがミソとなる。この段階においては、意志決定は誰もが賛成する「総論」レベルでも構わない。そうであっても、意志決定プロセスに参加するということは、手間がかかるし、責任も発生する。「甘え・無責任」な人たちにとっては、こういう負荷は、退屈なだけでなく、重荷になってくる。こういう面倒なことは、誰かに押し付けたいと思い出す。

この機まで待てば、あとはこっちのものだ。そんなに面倒なら、と、全権委任をとってしまえばいい。最初から全権委任をとることは、極めて難しい。しかし、みんな面倒で鬱陶しく感じはじめていれば、それはさして手間のかかることではない。ここで、白紙委任されてしまえば、責任と権限の一本化が成立する。と同時に、その時点できっちりとしたガバナンスが確立する。なんのことはない。組織のガバナンスについても、大事なのは、制度より運用ということなのだ。



(06/12/08)

(c)2006 FUJII Yoshihiko


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